ひな祭りの日
今日は日中いい天気であった。
日が燦々と部屋に差し込む。季節は春だと気づいた。
記憶を辿れば、小さい頃、ひな祭りの日いつも明るい日の光が差していた。
この日になると、妹用に両親が揃えた7段のひな祭りの飾りがいつのまにか床の間に出現していた。
僕が小さい頃、しばし高い飾りを見上げて、そっとその段を登ろうとしたが壊れそうですぐ止めた。
なぜ牛車があるんだろう、一番上の男性はなぜいつも向かって右なんだろう、
お囃子の女性は中段に3人なんだろう、なんで男性がその中にいないんだろう、とか色々不思議に思った。
雛人形を取り上げて、物申しそうな顔をみて、えいやと放り投げてみようと思ったが、多分何も言わないと思い、そのままそっと段に返した時もあった。
今年、今のところ幸い花粉症が軽い
3月、4月はいつも足を引っ張られる季節だが、この春、花粉症無縁だった時に感じた日の光をできるだけ楽しみたい。
今を楽しむ
実は、一昨年営業から管理部門に異動して、心の持ち方の「旅」の中にいる。
「旅」とは移動し、気づきがあり、行きつ振り返りつつの感じだ。
何度かブログにも書いたが、今の部署は、皆きっちりと仕事をする。
無駄なく、ミスなく、余分な事はしない、言わない、が原理原則だ。
自分のようないい加減な性格からすると、そうするのは相当努力が要る。
ただ、一年もすると大体そのように行動するようにはなった。
もちろん100点ではなく、多分80点くらいだろう。ただ、昔の60ー70点よりはマシになった感じだ。
ただきっちりした生活は、一つの弊害を生んだ。
先の事を考えすぎる。無駄なくやろうとして、段取りを考えるからだ。
仕事の習い性で精度を上げようとするから、先の事を正確に把握しようとする。
ただ、当たり前だが、先のことなどその通り起こるか決まってはいない。実際、取り越し苦労に終わる事が多い。また想定する期間もどんどん延びる。下手をすると、1年半先くらいまで想像している。
もちろん、仕事は憂う事はある程度は必要だ。
想定は憂いを産む。それが終わった時、その分喜びになる。
ただ、1年半先まで憂いて、今日という日を暗く過ごす必要はない。
そう痛感したのも、実は今回のオーストラリアの滞在だ。
皆、人生を文字通り楽しんでいた。
弁護士資格を持ちながら会社勤めをしている現地の若者が「弁護士になって長時間働くなんて、この(楽しい)オーストラリアでは考えられない」と言っていた。
目から鱗、であった。
ある程度計画を立て、準備すれば、後は1日を楽しむべきである。
そう思って、淡々としていると、ふと微笑みたくなる時がある。
あと、美輪明宏氏がTVで「幸せになるコツがあるの。それは感謝することよ。全てに感謝すること」
と言っていた。
今を楽しみ、そして感謝すれば、相当幸福になれるのではないだろうか。
このプロセスには、全くお金もかからない。よってコスパは無限大となる🙂
心の「旅」は続く。
休養日
今日は、休養日と決めていた。
午前中は読書をした。
読み始めたAIの本だ。高専の教科書にもなっている本なので、技術的にかっちり書いてある。
最初読んだ時はさっぱり頭に入ってこなかったが、もう一度同じ箇所を読んだら、言葉の意味とか、話しの筋がわかってきた。それでも一箇所、「線形分離」のところの一部が分からなかった。
久しぶりに頭に湯気がでる位考えた。そうすると、わかった。
分からないところを絞り込んで、そこに集中して、いろんな角度から考えると大抵分かるものである。
昔、受験でもそうやっていた気がする。
この小さな成功で、今日は良い日になる予感がした。
昼間はいつもの、つけ麺屋に行った。
美味しく頂き、妻用にお持ち帰りのつけ麺を買って行った。
午後ものんびり過ごし、夜はピアノを1時間半も弾いた。
本格的に弾くのは実に3週間ぶりだ。
なんともピアノの音が懐かしい。細かい和音が耳に入ってくる。指も意外と動いた。
このピアノはもしかしたらずっと弾いてもらうのを待っていてくれたのではと思えるほど、気持ち良く弾けた。
人間の体はいろんな養分を欲するが、音楽、ことピアノの音は自分にとって
意外と重要な栄養かもしれない。
ということで今日は予定通り、ゆっくり充電できた。
これからも、あまり先の事は考えず1日1日を大切にしたい。
お土産を買う時の注意
オーストラリアで飲み残し、持ち帰ったワインも今日で飲んでしまった。
お土産は、「不可逆」だ。つまり、戻って買うことができない。
だから多目に買おうとするのだが、このワインは結局買いそびれてしまった。そうなると、大抵後悔する。
お土産は「必要なものを中心に、多目に」がよろしいのではないか。
余れば、実家とか色々あげられるし、もちろん自分で消費してもいい。
今日、「カンガルー肉のジャーキー」を近くの人にあげたら、その人達はすごく喜んでくれた。一個400円程度だが、それ以上の笑顔だったように思うw。
カンガルー肉は自分でもこれまで食べたことがないので、とても楽しみ。謹んで頂きたいと思う。
カンガルーといえば、子供の頃読んだ野球本で、カンガルーの皮の野球靴を王選手が履いていたという記憶がある。
それにしても霙まじりの日本は寒すぎる。
ずっと開き気味だった毛穴がうまく閉まらず、体全体が少し当惑しているようだ。
そう思って、ふと見上げると、早桜か、梅が咲いていた。
それを見た瞬間、完全に季節がわからなくなっている。
色々な理由で大なり小なりストレスはあるわけだが、オーストラリアの3週間弱の出張で大分リフレッシュできた気がする。
またその辺の詳細は気が向けば書きたい。
久しぶりの日本
2週間半ぶりに帰国した。
長く出張するときは、日本に帰って来た直後の印象を楽しみにしているが、今日は
1 皆、黒いコートをきている
2 蛍光灯が多い。白熱灯のような暖かい光が少ない
3 髪が黒い
と、大体予想通りだった。
それにしてもオーストラリアは豊かだった。
資源のなす技であり、季節も良かったが人々は毎日お祭りのように活気を帯びていた。
オーストラリアで最も良かった事の一つは、人々がフレンドリーなところだ。
目が合えば、ちょっとした会話をする。ホテルの従業員も客との会話を楽しんでいた。
メルボルンは、カフェの街でもあり、ところどころで延々と話しをしている会社員同士やら、家族がいた。人々の幸せ度は相当高そうだった。
グローバル時代にあって特に日本という事で切り替える必要もないが、経験やら、出張中読んだ本やら、ジョギングしながら考えた事など今後の糧にして、明日から過ごせればと思う。
生活の質
メルボルンからパースに来た。
こちらにきても、ベーコンエッグバーガーとコーヒーで1200円と物価は相変わらずだが、
街は静かで、とてもきれいだ。
今日土曜日で、午後のフライトまで時間があったので、思い切ってパースのビーチに行った。
パース駅から電車で20分。周りはさぞ淋しいところと思いきや、なんと高級住宅街のようだった。
綺麗な街並みと、瀟洒な家々、中では家族が子供交えてバルコニーで遊んでいる。
正直、日本の十倍は豊かに見えた。
そんな家々を眺めていると10分もすると海がみえてきた。
シドニーでも海はみたが、西の海は初めてだった。
ちょうどアメリカのサンタモニカとか西海岸で海をみたときのような感動だった。
夕日は最高だろう。
下りてみると、そこには美しいビーチがあった。
もう、矢も盾もたまらず、水着に着替え海に飛び込んだ。
老若男女、プールで泳ぐがごとく、のんびり静かな波を縫って泳いでいた。
水も2メートル位下までみえるほどきれいだった。
海でひとしきり泳いだあと、朝食をとっていなかったので、ベーコンエッグバーガーとコーヒーを頼んだ。
海の先に島らしきものが見えたので、隣の若者にきくと、島があるという。
そこはビーチもあり、自転車で軽く一周できるらしい。
ただ、iPhoneのマップにその島はなかった。
帰りもゆっくりと電車で帰った。
駅からホテルまで歩いて15分くらいだが、Red Catという市内無料バスにのって近くまで行きホテルに戻った。
オーストラリアは前書いたように平均年収が800万円と日本の倍である。
物価もざっくり倍だが、生活の質は日本と比べて遥かに豊かだ。
資源に恵まれた国家ならではの部分は多いが、ゆっくりと生活を楽しむ重要性を改めて感じた。
現地にFIT
オーストラリアに来て早11日。
体はこちらに慣れまくり、生活習慣も、毎朝ジョギンしたりして現地化している。
洗濯機、皿洗い機、アイロン、それぞれ操作方法がわからず一気に立ち上げようとしたので最初は大変だったが、時間と共に全てクリアした。
こっちの人はフレンドリーだ。
知らない人でも目が合えば、挨拶とか少し話せる。
さっきもホテルのオーナーが丁寧に話していたので誰に話してるんだろうと注意を向けたら、相手は従業員だった。そのまま、中学の英語の教科書に載りそうな模範的な英語だった。
そんなホテルだから、当然サービスはいい。部屋のWIFIが時々切れることを除いて、ほとんど不満はない。
やや疲れはあるものの、考えるべきことを考える時間があり、大抵想定通りこなせているので今のところいい感じである。
ただ勝手が違う海外なので、油断せず残り1週間を過ごしたい。