『可用性』
『可用性』という、つい使いたくなる難しい言葉がある。
英語で言うと、Availabilityとか、Accessibilityの意味に近いと思うが、
つまり手の届きやすさだ。
情報の『可用性』なんていうと、すぐに取り出しやすい情報という事になる。
なんでこんな言葉を取り上げたかというと、今、手をだそうとすれば、色んな事に手が出しやすくなっているという事を言いたかったからだ。
ユーザーインターフェースが、多分iPhoneの登場以来、あらゆる機器だとか、本とか改良されてきて、興味があると手を出しやすくなっている気がする。
例えば、いい曲をYOUTUBEで聴いていて、途中出てくる宣伝は、前は生命保険とか全然関係ないものが来たけど、今は、例えば好きなピアノ曲の宣伝が出て来て、ついつい聴き入ってしまう。
また、iPhoneにあるGarageBandというソフトで、たまたまいいメロディを思いついて録音しておいたら、それが中々気に入ってしまって、ピアノで再現しようとしている。そういういい感じのインプロビゼーションのメロディは大抵再現が大変だ。ていうか、正確には再現できないからピアノを30分位弾いていたりする。
突如、Windowsが2年前の事故のように、PCが飛んでは大変なので、バックアップをそろそろ取ろうかとか、PCが飛んでもPCの起動が可能そうな起動システムディスクをUSBメモリーに取ろうとか、そんな思いも去来する。
今週末は卓球の懇親会で、夜もあるから、部屋にある飲みたいワインをどうしようとか、はたまた年明けにある高校の同窓会は行けるかとか、思いがどんどんスキャンされて出てくるのだ。
情報の可用性がネットとかで急激に上がって、やる事を意識的に絞らないとこんな風に、ただただ忙しい感じになってしまうのかもしれない。
危険なのは、やらなくてはいけないことを、やり過ごす事だ。
実は、やらねば行けない事から逃げているから、焦って忙しくてしているのかもしれない。
いわゆる「逃避」だ。
ただ、何をやるべきかわからない時は厄介だ。
人生の過ごし方の達人への道は、まだまだ遠いw。