他人と自分の喜び
カズオ・イシグロの「日の名残り」という小説は、主人の為につくす執事(Butler)の仕事の日々を淡々と書いた物語に思える。
きれいな英語、英国の英語で読んでいて、淡々としたトーンが心地よい。屡々、良い入眠剤にもなる。
執事は、いわば「他人の為につくすプロ」といったところだ。
翻って考えれば、他人に真に役に立たなければならないときは、プロ、つまり相当程度の配慮を要するということなのだろう。
相当の配慮を行う為には、行う者が冷静でなければいけない。
実際、この物語の執事は独白の文章の中で、極めて冷静であり、美徳として自己制御をいっている。
さて話は変わるが、バブルを20数年前に味わった身のせいかもしれないが、最近は
悪く捉えれば、低成長期、よく捉えれば几帳面な時代に思える。
いずれにせよ、有限な人生だから、その中で楽しみたいものだ。
これは人類共通の気持ちだろう。
ところで地球は生まれてから46億年と言われている。
人の一生を85年として、それを瞬き一回分の時間とする。
人の瞬きは100ミリ秒らしいから、電卓で計算すると
地球の年齢は63日間、瞬きしっぱなしということになる。
こんな風に計算してみると、人の寿命が短いのか、地球の年齢が長いのかよく分からなくなるが、
両方、覚知できる数字ということだ。
閑話休題、有限な人生を楽しみたいたいものである。
それを目的として、方法は別途考えなければいけないのは当たり前だけど、今日はここまで。