思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

幸せを感じる時

幸せと聞くと、いつも幸せを感じている人々なり、光景を想像する。

笑顔、家族、豪邸、デート、映画や本や、イメージは数限りなく存在する。

しかし、実際の幸せは違うような気がする。少なくとも、僕の経験するものとは違う。

 

例えば、今日も午後卓球の練習があった。行く前は、毎度結構憂鬱だ。

不調だったらどうしよう、成果がなかったら、相手がいなかったら、色々な不安材料が頭をよぎる。

 

また最近不調で、普通勝てる相手にも全然勝てず結構落ち込んでいた。

今日は、いつも撮影しているビデオの反省を活かすことができた。

すると、格上の人にも簡単に勝つことができた。やるべき事をやれば、勝てるのだ。

 

そうして、その時は幸せモードになる。

ところがその後、卓球の練習が終わって帰ろうとしたら、なんと自転車がパンクだ。

実は練習前、自宅を出てくる時にパンク状態になっていた。その時、空気を入れたのに、練習後にまたパンクになっていた。

 

自転車屋に行くと、「1時間半かかる」と言われた。

「1時間半」という時間に途方に暮れたが、近くのドトールで時間を潰すことにした。読みかけの本が手元にあったので、読んでいると上手く時間を潰せた。ようやく自転車屋に行くと、「まだやってないから15分待ってください」と言われた。

 

待った後、何とパンクしていないと言う。

原因不明だ。

 

そうして、半分モヤモヤしながら帰ってくると、今度は、何と自宅に忘れたはずの撮影用の自撮り棒が家にない。

今日練習途中にいつものように撮影しようと思ったら、なかった。家を出る時、確かバックに入れたはずなのに、体育館でなく、その後自宅に戻ったら、無かった。

ダメ元で体育館に電話したら、幸いにも落し物で届いていた😭

やっぱり体育館で、中身をほじくり返している時に自撮り棒が外に落ちたらしい。

一瞬バックから誰かに盗まれたと思ったらが、そうでなくて良かった。

 

帰ってきて自分の部屋で寛いでいたら、娘が入って来て、久しぶりに一緒に映画をみた。

途中までだが、みた映画は「ローマの休日」。娘の大学の英語の教材で使われたから見たいと思ったとのこと。

これは、実は僕の大学の頃と全く同じ。英語のリスニングの教材で当時、テープが擦り切れるほどこの映画のセリフを聞いた。そしてその後映画をみて感動した。娘も同じ道を辿っている。

 

このように今日も夜の9時を回って、やっと束の間の幸せを味わっている。

不安や憂鬱を克服して初めて、幸せは味わえるものだと思い始めている。

苦しみやら、憂鬱やら、ネガティヴな感情を味わないと、幸せというポジティブな感情も来ないのかもしれない。何にもなくて、ただ幸せを感じられる時も全く無い事はないのだが、とってもレアなのではないだろうか。

(了)