思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

幸せは儚いもの?

「幸せとは何か?」、恐らく誰もがしばしば考える事だろう。

これも、学校では中々教えてくれないシリーズの一つである。

一般的に幸せは、マンガとかで想像するのは、ハッピーエンドと言った永続的なものだろう。

苦難を乗り越えて、ハッピーになる。そこから不幸になるとは想像することは少ない。

 

今は、幸せは永続的ではなく、たまに感じるものだと思っている。

物理的にいうと、静的というより動的、つまり時間によって変わるものだ。

その意味で、幸せは儚く、永続的に楽しめるものではないという思いが強くなっている。

 

永続的なものを想像させる言葉として、「基盤」というものがある。

基盤とは、普通短い時間では築くことができないものを意味する。

では、幸せは基盤だろうか?

 

僕は、幸せはあくまで主観的なものだから、その時の気分でかわるものである。その点で、幸せ=基盤ではないと思う。

 

極端な例を言えば、一見何の不自由なさそうなエリート家族で、突然親子で殺しあったりする事件がある。それは、基盤はあっても、幸せではない典型例であろう。

 

幸せをそのように瞬間的なものとすると、割と色んなことがすんなりと納得がいく。

まず幸せと感じても、それに甘んずることができない。一瞬のそれを味わうために、継続的に努力しないといけない。幸せに到達したと思っても、そのあと何もしないと、そのはかない幸せは失われる可能性がある。

 

また幸せは儚い一方、動的で変幻自在とすれば、変わる幸せを幸せと捉えないといけない。

それはたしかに幸せだという事を、感じる能力が必要となる。

これを「感性」というと少し語弊がある気がする。幸せを感じる力も努力がいる、その意味で「能力」の方がふさわしい。

 

そのように、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、絶望を乗り越えて、人は力をつけ、幸せを感じることができるようになるのだろう。

 

後世への名誉も「幸せ」の中に含めると、さらに日常は厳しいものを含むことになるのかもしれない。

 

かの西郷隆盛は、生前「自分ほど苦労を味わったものはいない」と言ったらしい。事実、2度の遠島流し、月照との自殺未遂、弟子たちに担がれて敗走続く西南の役の果てに介錯された最期、死後も、明治天皇に解かれるまでは天皇に逆らった賊人とされた。確かに、これほど苦しい、不幸な人生はないだろう。

 

一方、西郷らのお陰で、幕末の混乱の中、内戦をさけ維新を成し遂げた結果、西洋に植民地にされず、富国強兵政策により軍備を整え、バルチック艦隊を破り、ロシアにも征服されることがなかった。この日本があるのは、そうした先達の力によるところが大きいことは歴史の語るところである。

 

考えを進めてくると、傍目から不幸すぎた西郷は、結局、本人は幸せに感じていたのではないだろうか。死の間際の朝、天皇のいる東に向かって深々と手を合わせて従容と介錯を受けた。

実際、鹿児島に行って、西郷終焉の地を見た。大きな木があった。恐らく、最期の時を見下ろしていた木であろう。

 

幸せとは、このように儚く、感じるのに努力を要し、場合によっては、逆説的だが厳しささえ感じるときもあるのかもしれない。

 

雨音に交じる昔の曲を聞きながら、少し掲題について考えた。