思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

黒い霧の首相をのさばらしてはいけない

日本では、民主主義はまだ完全に根付いているとは言えないと思う。

会社に入って海外出張に行き始めてまもない90年代、出張先のアメリカの自由な雰囲気が好きだった。

まず朝食の雰囲気。日本だと、朝といえば温泉浴衣に眠そうな雰囲気が定番だったが、アメリカは全く違っていた。ホテルのレストランでは、スーツを着てオレンジジュースを飲みながら新聞を読んでいたり、ビジネスマン同士のミーティングなど力溢れる時間であった。

 

次に印象的だったのは、確かカーボーイ風ステーキレストランに行った時に会った女性店員達だ。ときに我々の座っているベンチ横に足を載せて「何をオーダーする?」と聞いてくる。一見無礼なんだけど、働いている姿がとても誇らしく見えた。日本の店員とは全く違ってみえた。そういえば、その時の行きの日本便の男性の客室乗務員が、やたら「すみません」といいながらサービスしていた。先ずは謝るというのがマニュアル通りなのか、卑屈にさえ見えた。

 

また当時ブッシュとゴアの大統領選挙が大接戦で、大統領が1週間ちょっと不在となった。その時、やたらとアメリカ人の友人が怒っていた。「なんで?」と聞くと「だって、俺たちの為に働く大統領が10日間も不在っていうのはもったいないだろう」と言うような事をいっていた。

そこで、はっと目が覚めた。「大統領は民の為に働く人なんだ」と。それが民主主義ではないかと。

 

日本は、江戸時代もっと前の封建時代から役人=国家公務員(首相含む)=お上が抜けきらない。

民は下だと思っている。だからなんとなく上へ、上へと行きたがる。

しかし、真の民主主義にあれば、あくまで民が第一で、大統領とかリーダーは

あくまでリーダーという役割だ。もちろんリーダーは大変だ。その対価の報酬と尊敬は受ける。

ただ、大変であるから、その役割に誰もがなりたいわけではない。つまり人の上下ではない。

日本は、そういう役割もはっきりしていないし、なんとなく封建時代をひきづって、真の民主主義に完全に移行できないでいると思う。

 

今回、森友問題、加計問題は、国民の税金が首相近辺で森友では9億円、加計では通常坪70万円が相場の建設費が坪150万円で建てられている。水増し分50億円の税金がお友達につぎこまれた疑いがある。

 

強い首相がいて、それにおもねる役人、そして国民がデモしようが、首相は強気に居座っている。「嘘つきというなら、証拠を示せ」と言っている。2015年4月2日の柳瀬元補佐官との面談のウソも、首相夫人が超右翼の学校の名誉校長で、100万円寄付していても「関与していたら首相をやめる」と強弁する。加計にしても「2017年1月20日まで加計が獣医学部を申請しているとは知らなかった」という。強気+口先で言い放つ+どうせ煙にまける、いう考えにしか見えない。

 

今こそ、こういう権力の蜜に溺れた人を日本のリーダーから排除しないといけないと思う。

でないと、文書黒塗りや、国民が居酒屋で話していただけで逮捕される可能性がある特定秘密保護法等により、我々国民の権利を次第に制限し、独裁者がいのままに政治を進め、利益を得るという昔のフィリピンのマルコス政権とかの時代になる可能性すらあるといわれている。

 

政治家を馬鹿というのは容易い。我々国民がバカになってはいけない。

憲法第一条は「国民主権」である。また、首相とか役人は現憲法を尊ぶ義務ある(憲法99条)。

首相とか役人が憲法改正を軽々しく言ってはならないのだ(昔、小池現都知事が「プチ憲法改正」とか言っていたが、憲法を勉強していないのがすぐわかる)

安倍首相も、改憲改憲と言う割には著名な憲法学者芦部信喜氏を知らなかった。

国会で小西ひろゆき氏の問い「基本的人権の尊重な何条か?」ときかれて答えられなかった。

恐ろしいほどの不勉強さが政治家にある。

 

我々は、マスコミとかメディアの影響は受けるが、情報を取捨選択して、しっかり常識で政治に対してYes、Noを言わないといけない。デモという手もあるが、まずは選挙であろう。

高潔ではない権力者をのさばらしてはいけない。

「お上は悪くはしないだろう」というお人好しの国民は、ダメだ。

物言わないが、きっちり選挙で結果が出るような政治家に睨みがきくような国民でないといけないと思う。