思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

生きている証

ここ10日ほどブログは書かず。

卓球、夜の懇親会やら忙しかったこと、風邪気味で咳が出ていたことが理由だ。

3月から花粉症で、終わったと思ったら、卓球の後、汗で体が冷えて風邪気味になり、咳が残るという個人的典型パターンだった。咳は今回は幸いにも、治まりつつある。ある朝「体調が悪い」と言ったら、妻がその表現に驚いたらしく、その夜いつものように晩酌のビールを飲もうとしたら「本当に体調悪い人は、お酒を飲まないわよ」と言われてしまった。家内も最近腰が悪く、難儀している。

 

人生生きていると、色々難所がくる。とある後輩も、「今の会社が居づらい。なんとか現状を変えたい」と相談きた。他方、ハッピーそうな後輩達とも懇親卓球をした。確かにその時は楽しかったが、彼らもそれなりに心に色々抱えてるのだろう。

 

確実に言えるのは、誰一人、100%満足して人生を過ごしている人はいない、という事だ。

1日くらいは完全に満足な日はあるかもしれない。しかし、それ以上の時を過ごせば、不満、不安、嫉妬、ネガティブな気持ちを味わっているのではないだろうか。

 

「昨日も今日も満足だった。明日も、あさっても満足な日間違いなし!」であれば、もはや生きる意味はないのではないだろうか。

 

不満足だから、悔しい思いをするからこそ、改善しようとか、工夫とか、人は思うのではないか。個人のみならず社会的なネガティブなニュースで報じられる事も、それがきっかけとなって、改善に向かう事も多いだろう。

 

とすれば、日々味わう不完全さや、不満足は、生きている証なのかもしれない。

 

もちろん、ネガティブな事にそれらに耐えうる心と身体持つことが前提となるだろうから、それらを養わないといけない。疲れまくったら、休む。この辺の管理は、大人はちゃんとしないといけない。