思考の詳細

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「天気の子」を観た感想のつづき

「天気の子」は梅雨空が続くほど、思い出すのだろう。

長雨が映画のモチーフだからだ。

新海監督は、封切り直前までこの映画を制作していたという。

今年の長雨が作品に影響しているのではないか。

多分、梅雨明けが伸びればその分、興行収入の伸びるのではないか。

 

この映画をみて、中学生同士の恋愛は個人的には響かなかった。

それ以外のもので自分は何が感動したんだろう? と自問自答する。

 

いつもの光景、光と雨のディテール、ドローン空撮のような空を駆け巡る映像。

それは新海監督の真骨頂だ。

 

他に何かあった。

それは、多分「虐げられた者にとっての都会」だ。

金なし、身分なしの子供が都会を駆け巡る。

それを持っている者にとっては想像できないくらい、虐げられる。

泊まるところがない。家出と思われて、警察から追い回される。

その中で、子供は反発する。

だが、一線は越さない。

そのあたりが、粗削りに展開される。

 

虐げられる、破滅する又は踏みとどまる、前者は死、後者は超ハッピーエンドというのも

ハリウッド映画でよくあるパターンだろう。

今回の映画は、そのパターンのメリハリは中途半端だ。

多分、天候不順とか、天候を変えることで世の中を変えるとか、恋愛とか、空間の繋がりとか

色んなモチーフが監督の頭の中で巡っていたんだろう。

 

でも、個人的に「中途半端」が嫌いではない自分にとって、このメリハリのなさは許せる。

 

そのせいで、この映画が傑作と言われなくてもいいではないか。

金ピカに目立たなくても、世に長く愛される作品であれば。