理性と今を生きる重要さについて
昔からジョギングするときには、考えることを目的にするようにしていた。
今日もキロ6分程度で走ることをアップルウォッチで確認しながら、そのほかは
考える事にした。
すると、頭を働かせて余裕があるせいかタイムもそんなに落ちず、考える時間も持てて一石二鳥だ。
実は、このコロナの期間、自分にとってささやかなチャレンジをした。
それは「コントロールする」事だ。
すなわち、理性で考え正しいと思った事をやる事だ。
シンプルなことだが、これま中々できなかった。
例えば、昨日お気に入りのつけ麺の店に行ったとき、お腹が減っていたので大盛りにしたかった。
しかしデメリットがいくつか頭に浮かんだ。まず食べ過ぎて、体重が増えて後悔するとか、動きが悪くなって午後の時間を無駄に過期してしまう危惧だ。
理性でほんの少し我慢して、正しいこと、つまり普通盛りを注文した。
実際、想定通り動きも悪くならず、午後の動きも落ちず、夕食も美味しかった。
今朝も自宅のプリンターでコピーをしようとしたが、白紙が出るばかりでコピーできなかった。
そのほか、カード明細の確認作業があって、イライラしてきた。
しかし、ここでイライラが増すと、自律神経が乱れ、下手すると一日中不調になってしまう。
そこで心を落ち着かせ、コピーを取るのは諦め、写真をとりそれを印刷するという代替案を行った。
それでうまく乗り切った。
ピアノのやや難曲を弾く例をあげよう。
ピアノは幸いコロナで多く練習時間が取れているが、これまでうまく弾けない曲の一つにショパンの「幻想即興曲」があった。
いい加減には弾いていたが、肝心なところは弾けていなかった。
過去何年もその調子だった。レッスンを受けない限り、弾くのは無理と諦めていた。
弾けないとき、核心部分が弾けないだけでなく、その前後の指使いや、音を飛ばしていたりして確信部分を弾けなくしていることが多い事に気づいた。練習時間がある中、楽譜を見直し正確に指使いをし、つっかえたところは集中的に練習した。
すると、だいぶ乗り越えて弾けるようになった。
実際できないところを、振り返り、そして集中的に対策する、受験も皆同じである。
不正確にいくら弾いていても、決してうまくならない。
つまり、不正確なものは積み重ならない。
後、ローマ時代のストア派セネカの「人生の短さ」の本を紹介したYOUTUBE動画を見て、大きな気づきがあった。
時間を過去、現在、未来に分けると、現在が最も重要だということだ。
そして現在は過去に積み重なって実績となるから、現在を大切にしろ、未来を追いかけるのは無駄とのことだ。
振り返ると、自分は未来ばかり追いかけていた。
未来にある条件を置きその条件が成立したらこうしよう計画を立てたものの、条件が成立しないことを何度も味わっていた。
その度、描いていた計画がムダになった。
一番大切なのは、現在であり、次に大切なのは過去なのだ。
これまで、なぜ自分よりも学歴が低く、経験もなく、能力も低そうな人が成功しているのか、正直不思議だった。
だがその人たちは現在を必死に生きて、過去に実績を残してきたのだろう。
その実績の差と考えれば、スッと納得できる。
一方、自分も色々経験し、それなりに一生懸命やってきた。うまくいかなかったことが多いが、それは実績や経験として
自分の血肉や背景になっていると信じるようにしたい。
このようにコロナの自粛を通じて、貴重な思考をした。まとめると、
1 これからも理性でコントロールする。つまり正しいを思ったことを淡々を実践する。
2 1の理性を使って現在一生懸命生きる。そして現在の行為は過去に実績として積み重なると信じる。未来は計画をしっかり立てなくても、目的を持って進めば開ける。
コロナの自粛時にこのような貴重な考えに至ったのは、とても良かったと思っている。