思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

GW休暇

GW中、いつものように帰省した。実家を起点に故郷での生活を満喫した。

わらび採り、かつお、あさりなど海産物を味わい、一家のパーティ、卓球、浜松祭り、小学校の同級生との偶然の再会もあった。畑では、エンドウを取った。翌日には卵とじで食べた。ずっと5月の光と風が吹いていた。9日間、本当に堪能できた。体を心が洗われ、最近の記憶は吹っ飛び、日が経つほどに小さい頃に戻ってゆくのを実感した。

 

考えてみれば、両親も元気で、家族も円満、自分も健康であり、見渡してみても多くの幸運に恵まれている。

人はこのような周りの事をすぐ忘れ、少しでも上に行こうとしがちだ。

向上心も大事だが、最近はそれよりも「流れ」が重要な気がしてならない。

人は一人だけではなく、様々な関係性の中を生きている。家族、親戚、地域、など周りの人々、幼馴染、色んな人との出会いがある。また、自分の体すら、大半の部分は自分の意思とは違うところにある。

 

当たり前の事だが、こういう関係性の中で、流れを見ながら、自分としてベストを尽くすべきなんだろう。

 

思い出と、幸福感を体いっぱいに満たして、これから東京に戻る。

 

 

 

黒い霧の首相をのさばらしてはいけない

日本では、民主主義はまだ完全に根付いているとは言えないと思う。

会社に入って海外出張に行き始めてまもない90年代、出張先のアメリカの自由な雰囲気が好きだった。

まず朝食の雰囲気。日本だと、朝といえば温泉浴衣に眠そうな雰囲気が定番だったが、アメリカは全く違っていた。ホテルのレストランでは、スーツを着てオレンジジュースを飲みながら新聞を読んでいたり、ビジネスマン同士のミーティングなど力溢れる時間であった。

 

次に印象的だったのは、確かカーボーイ風ステーキレストランに行った時に会った女性店員達だ。ときに我々の座っているベンチ横に足を載せて「何をオーダーする?」と聞いてくる。一見無礼なんだけど、働いている姿がとても誇らしく見えた。日本の店員とは全く違ってみえた。そういえば、その時の行きの日本便の男性の客室乗務員が、やたら「すみません」といいながらサービスしていた。先ずは謝るというのがマニュアル通りなのか、卑屈にさえ見えた。

 

また当時ブッシュとゴアの大統領選挙が大接戦で、大統領が1週間ちょっと不在となった。その時、やたらとアメリカ人の友人が怒っていた。「なんで?」と聞くと「だって、俺たちの為に働く大統領が10日間も不在っていうのはもったいないだろう」と言うような事をいっていた。

そこで、はっと目が覚めた。「大統領は民の為に働く人なんだ」と。それが民主主義ではないかと。

 

日本は、江戸時代もっと前の封建時代から役人=国家公務員(首相含む)=お上が抜けきらない。

民は下だと思っている。だからなんとなく上へ、上へと行きたがる。

しかし、真の民主主義にあれば、あくまで民が第一で、大統領とかリーダーは

あくまでリーダーという役割だ。もちろんリーダーは大変だ。その対価の報酬と尊敬は受ける。

ただ、大変であるから、その役割に誰もがなりたいわけではない。つまり人の上下ではない。

日本は、そういう役割もはっきりしていないし、なんとなく封建時代をひきづって、真の民主主義に完全に移行できないでいると思う。

 

今回、森友問題、加計問題は、国民の税金が首相近辺で森友では9億円、加計では通常坪70万円が相場の建設費が坪150万円で建てられている。水増し分50億円の税金がお友達につぎこまれた疑いがある。

 

強い首相がいて、それにおもねる役人、そして国民がデモしようが、首相は強気に居座っている。「嘘つきというなら、証拠を示せ」と言っている。2015年4月2日の柳瀬元補佐官との面談のウソも、首相夫人が超右翼の学校の名誉校長で、100万円寄付していても「関与していたら首相をやめる」と強弁する。加計にしても「2017年1月20日まで加計が獣医学部を申請しているとは知らなかった」という。強気+口先で言い放つ+どうせ煙にまける、いう考えにしか見えない。

 

今こそ、こういう権力の蜜に溺れた人を日本のリーダーから排除しないといけないと思う。

でないと、文書黒塗りや、国民が居酒屋で話していただけで逮捕される可能性がある特定秘密保護法等により、我々国民の権利を次第に制限し、独裁者がいのままに政治を進め、利益を得るという昔のフィリピンのマルコス政権とかの時代になる可能性すらあるといわれている。

 

政治家を馬鹿というのは容易い。我々国民がバカになってはいけない。

憲法第一条は「国民主権」である。また、首相とか役人は現憲法を尊ぶ義務ある(憲法99条)。

首相とか役人が憲法改正を軽々しく言ってはならないのだ(昔、小池現都知事が「プチ憲法改正」とか言っていたが、憲法を勉強していないのがすぐわかる)

安倍首相も、改憲改憲と言う割には著名な憲法学者芦部信喜氏を知らなかった。

国会で小西ひろゆき氏の問い「基本的人権の尊重な何条か?」ときかれて答えられなかった。

恐ろしいほどの不勉強さが政治家にある。

 

我々は、マスコミとかメディアの影響は受けるが、情報を取捨選択して、しっかり常識で政治に対してYes、Noを言わないといけない。デモという手もあるが、まずは選挙であろう。

高潔ではない権力者をのさばらしてはいけない。

「お上は悪くはしないだろう」というお人好しの国民は、ダメだ。

物言わないが、きっちり選挙で結果が出るような政治家に睨みがきくような国民でないといけないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

いい事はダブルで来ない

最近、大抵帰宅途中時間つぶしに図書館に寄っているが、今日は発見事項があった。

発見は、そんなに頻繁に出るものではないので、明日になれば冷めてしまうようなものかもしれず、未だ懐疑的ではある。ただ、肉付け、確認の方向性は持ったので、この週末考えを進めてみたい。

 

と言う事で、今夜は比較的上機嫌で帰宅した。

そして、昨日買った定価より半額のボルドーワインを飲んだ。

AOC、アペラシオン、つまり産地保証されたものだ。

飲む前にネットで調べてみたら、なんと買った値段。飲んで見たら、値段通り、orz..

確かに店に行けば1000円近辺でもAOCが少なからずある。

 

「いい事と、悪いことは手を繋いでやってくる。」

つまり、いい事は重ならない。

いつも痛感する格言である。

 確か、僕の先輩の格言だと思うが定かではない。

2018年新年度スタート

最近、ブログを書いていなかった。

大きな理由は、卓球が忙しかったからだ。3月は11日、17日、21日、24日と4回も試合があった。

試合は、練習の1.5倍から2倍は疲れる。勝つことに全力を傾ける為、運動量、神経の疲労が普段の練習とは違うのだ。またその後の懇親会にも出たりして、それ以外の趣味のピアノを弾いたり、ブログを書いたりする余裕がなかった。

 

3月も末になると、いつのまにか花見の季節になっていた。

今年は3度花見をした。1度目は前回もブログに買いたが近くの緑地で高校の同級生とした。

その時のワインが最高だった。3000円超でおススメとなると、さすがに普段のより格段違う。

こういうのを飲むと後、安価なワインが飲みづらくなる。

 

2度目は娘と千鳥ヶ淵を歩きながら飲んだ。

缶ビールと缶チューハイを飲みながら桜をみた。

 

その後、靖国神社に移動して、同じものを飲んだ。ファミマで

チキンをつまみで買った。

「飲む適量を知ることが重要だ」などと、当たり前の事を言うと

良く子供は聞いていた。

それなりに親の言う事は、優先順位を置いてきいてくれると感じた。

同時に言う内容に責任も感じる。

 

3度目は恒例の友人宅での花見。

運搬中のワインを落として割ってしまうなど失態もあったが、印象としては全体的にとても楽しかった。

 

このように卓球と花見で過ぎた3月だった。

そして、4月が始まった。新年度になり、今朝も通勤電車では新入社員らしき女性二人が新生活について賑やかにはなしていた。

 

春を感じつつ、先の2月のオーストラリア出張で思った「今を大切にする」ことの重要性も頭におきながら、仕事は目の前の事をこなしている、

 

淡々としたといえばそれまでだが、そんな新年度のスタートである。

 

 

 

 

 

春のワイン会

今日の午後は高校時代の同級生を誘って、花見兼ワイン会をした。

咲きとしては、三、四分咲きだろうか。桜は、それなりに美しかった。

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ただ、見ていて趣と言える程のものはなく、なんだか小さな劇場の桜のセットのように、取り敢えず咲いてみましたという感じだった。

 

桜の見える土手腰掛け、準備したワイン2本とつまみは会話と共に快調に消えて行った。

 

f:id:jnxjent:20180325184511j:image帰りは、友人を駅まで送るのを失礼して、家まで歩いて帰った。

音も無く、風もなく、ただ夕日の中に小綺麗な川沿いの風景が繰り広げられた。

 

できれば、また5ー6月の新緑の季節に、同じようにワイン会をやりたいものだ。

 

どれだけ気楽に、コストも普段の酒を飲む店よりも安くというのが、このワイン会のテーマである。

語るべき友がいれば、一人で飲むよりも喜びは倍増する。

 

このように桜の季節は始まった。ただ、今週いっぱいだろう。

短い期間、楽しみたいものだ。

 

 

 

幸せは儚いもの?

「幸せとは何か?」、恐らく誰もがしばしば考える事だろう。

これも、学校では中々教えてくれないシリーズの一つである。

一般的に幸せは、マンガとかで想像するのは、ハッピーエンドと言った永続的なものだろう。

苦難を乗り越えて、ハッピーになる。そこから不幸になるとは想像することは少ない。

 

今は、幸せは永続的ではなく、たまに感じるものだと思っている。

物理的にいうと、静的というより動的、つまり時間によって変わるものだ。

その意味で、幸せは儚く、永続的に楽しめるものではないという思いが強くなっている。

 

永続的なものを想像させる言葉として、「基盤」というものがある。

基盤とは、普通短い時間では築くことができないものを意味する。

では、幸せは基盤だろうか?

 

僕は、幸せはあくまで主観的なものだから、その時の気分でかわるものである。その点で、幸せ=基盤ではないと思う。

 

極端な例を言えば、一見何の不自由なさそうなエリート家族で、突然親子で殺しあったりする事件がある。それは、基盤はあっても、幸せではない典型例であろう。

 

幸せをそのように瞬間的なものとすると、割と色んなことがすんなりと納得がいく。

まず幸せと感じても、それに甘んずることができない。一瞬のそれを味わうために、継続的に努力しないといけない。幸せに到達したと思っても、そのあと何もしないと、そのはかない幸せは失われる可能性がある。

 

また幸せは儚い一方、動的で変幻自在とすれば、変わる幸せを幸せと捉えないといけない。

それはたしかに幸せだという事を、感じる能力が必要となる。

これを「感性」というと少し語弊がある気がする。幸せを感じる力も努力がいる、その意味で「能力」の方がふさわしい。

 

そのように、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、絶望を乗り越えて、人は力をつけ、幸せを感じることができるようになるのだろう。

 

後世への名誉も「幸せ」の中に含めると、さらに日常は厳しいものを含むことになるのかもしれない。

 

かの西郷隆盛は、生前「自分ほど苦労を味わったものはいない」と言ったらしい。事実、2度の遠島流し、月照との自殺未遂、弟子たちに担がれて敗走続く西南の役の果てに介錯された最期、死後も、明治天皇に解かれるまでは天皇に逆らった賊人とされた。確かに、これほど苦しい、不幸な人生はないだろう。

 

一方、西郷らのお陰で、幕末の混乱の中、内戦をさけ維新を成し遂げた結果、西洋に植民地にされず、富国強兵政策により軍備を整え、バルチック艦隊を破り、ロシアにも征服されることがなかった。この日本があるのは、そうした先達の力によるところが大きいことは歴史の語るところである。

 

考えを進めてくると、傍目から不幸すぎた西郷は、結局、本人は幸せに感じていたのではないだろうか。死の間際の朝、天皇のいる東に向かって深々と手を合わせて従容と介錯を受けた。

実際、鹿児島に行って、西郷終焉の地を見た。大きな木があった。恐らく、最期の時を見下ろしていた木であろう。

 

幸せとは、このように儚く、感じるのに努力を要し、場合によっては、逆説的だが厳しささえ感じるときもあるのかもしれない。

 

雨音に交じる昔の曲を聞きながら、少し掲題について考えた。

 

 

 

 

 

ひな祭りの日

今日は日中いい天気であった。

日が燦々と部屋に差し込む。季節は春だと気づいた。

 

記憶を辿れば、小さい頃、ひな祭りの日いつも明るい日の光が差していた。

この日になると、妹用に両親が揃えた7段のひな祭りの飾りがいつのまにか床の間に出現していた。

僕が小さい頃、しばし高い飾りを見上げて、そっとその段を登ろうとしたが壊れそうですぐ止めた。

なぜ牛車があるんだろう、一番上の男性はなぜいつも向かって右なんだろう、

お囃子の女性は中段に3人なんだろう、なんで男性がその中にいないんだろう、とか色々不思議に思った。

雛人形を取り上げて、物申しそうな顔をみて、えいやと放り投げてみようと思ったが、多分何も言わないと思い、そのままそっと段に返した時もあった。

 

今年、今のところ幸い花粉症が軽い

3月、4月はいつも足を引っ張られる季節だが、この春、花粉症無縁だった時に感じた日の光をできるだけ楽しみたい。