思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

2024年あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。

2024年、今年はどんな年になるのでしょうか?

世界は、ガザやウクライナ戦争がどのように広がるかでしょう。

これらの争いが広がらず、平和に落ち着くことを望みます。

個人的にはまず家族のみんなが落ち着くこと。

自分自身は、やりたいことが増える中、中途半端にやって

身の回りが散らからないように、落ち着いて一つひとつやってゆきたいと思います。

そう、今年の計は「落ち着く」です。

色々やりたいことが多い中、心に留めておきたいと思います。

今年一年、充実してやってゆきましょう。

 

 

 

人間ドックで要精密検査で調べたら

先月受けた人間ドックで一項目で「要精密検査」となった。

肝臓が「高エコー」ととある。一項目が用精密検査により、判定はD判定と悪い判定となった。

早速医者にいったら、肝臓がんとか悪性ではない時が多いとのこと。一方、「低エコー」は黒くなって悪性の場合が多いとのこと。

「CTとりましょう」ということになり、別場所でCT撮影。

巨大な機械に体を輪切りにされるようにスキャンされた。

結果が昨日発表ということで、医者にいってきた。

待合室から呼ばれて、医者から目を覗き込まれて「何かあったのか?」

と思った。開口一番

「大丈夫でした」

ほっとした。実際、その旨言葉に表した。

血管腫、大きさも20mm程度ということで、経過観察してよいらしい。

それにしても、医者にいって

「がんです」

と突然宣告されるような気分を味わった。

患者は皆、一方通告を受けるだけ。がんであれば、それは希望した結果ではない。

酒をのみすぎない、高コレステロールのものは控える、そして今を楽しむ。

そんなことが重要だと改めて思った。

 

 

還暦を迎えての思い

2023年10月15日、ついに60歳になった。

「自分は50代」との思いで年を重ねていたが、

「60代」と考えると少し違う感覚が戻ってくる気がする。

ただ、誕生日を迎えたからといって生物学的には何も変わるわけがない。

あるのは、思いだけだろう。今以降の将来への思いということになる。社会的には定年退職の時だったが、今は65歳定年が増えている。寿命も入社した35年前は男性71歳、女性81歳だったが今ちょうど5歳づつ伸びた。

60歳の還暦も65歳に伸ばした方が、実態と合うかもしれない。ただ、還暦には他の精神的な意味があるのを知っているから、皆それが何かをしらなくても還暦を65歳にしようとは誰も言い出さない。

一方、がんになればいつ死ぬかわからない。事故、戦争、不慮のこともある。

そんなことを、雨の音をききながら考えていると、60歳になった意味をそんなに大袈裟に捉える必要がないのではと思えてくる。

僕も60歳で定年退職、転職することになったが、まったくの挑戦である。

ふるさとの企業に就職するが、ふるさとといっても40年も離れたいた土地だし、住む家も実家ではない。

会社も、人間関係も、すむところも新しいところになる。

会社の定年退職という制度でたまたまガラっと環境がかわることになる。

そういえば物理の力学第一法則で「すべての物体は、外から力が加わらない限り、同じ速さで直線運動をし 続ける」というものがあるが、何も力、努力をしなければ、人は同じことをやっているのは楽なのだろう。

今回、転職活動も確かに力が要った。

でも、これまでの方向からぐっと方向が変わった。

これにより家族も方向を変えてゆくことになる。

人間、ずっと寝て一生を終わることはできないから、動いて、働いて、活動することになる。人は動く。結果、社会も人の集団として動く。

地球という舞台で、人は動く。気候も主に太陽熱をエネルギー源に動く。

そしてそれらが合わさって物語が地球上に生まれている。

通常宇宙には、無に近い空間がほとんどなのに、このように物語をくりひろげる地球は極めて稀だろう。

だんだん考えが発散してきたが、もとに戻ると、還暦は人に動きを変化させるきっかけとなる制度の一つかもしれない。変化させることで上記のようなダイナミズムを生む。

そうでもしないと人は変わらないのだ。

逆に、普段から変わることができている人には、還暦を不連続な「何かしなければいけない日」と捉えて焦る必要はなにもないのではと思えてきた。

還暦の誕生日も、少しだけその日を思い出してあとは通常の日のように過ごせばいいと。

実際、私の家族の子供も試験勉強で忙しく、還暦のお祝い、父の米寿の祝いなど全て年末に持ち越す方針とのことで、今日はイベントは何もない。

少し寂しい気もするが、今の思考で少し気が楽になった。

ものは考えようだ。

雨は本格的に降っている。午後から上がる予報だが、雨足は強まるばかりだ。

おお、今流れている曲はLedZeppelinのRainSong

こんな駄文を書いている今にこの曲、なんという偶然。

大好きな曲だ。

これからも、小さい感動や、努力を積み重ね、運命を受け入れ、家族は周りに優しくする、そんな人生を送れたらよいと思う。

 

 

富士ヒル終わって約3ヶ月、ホントいろんなことがありました

富士ヒルが6月2日に終わって以来、本当にいろんな事があった。

多少大袈裟だが、感覚的には「小さい船で嵐の太平洋を進んでいる」感じすらあった。

何が起こったのか。

 

まず富士ヒル終わって、一週間弱休養した。

その後、トレーニングやグループ練習を再開した。

中長期目標は、リングの色をもっと上位の色「シルバー」に変えることだ。

そこにどこま今年近づけるか。

 

まず、トレーニングの本を調べ、11月まではベースを作るためにL2等低強度中心でトレーニングする作戦をたてた。一方、グループライドにいったらシルバーの人に「来年の5月まではSST ミディアムをひたすらやる。5月以降はVO2Maxなど無酸素高強度を時々いれる」ときいた。ここでやるべきことが2つに分かれてしまった。

 

定点計測地のヤビツ峠でTTしようと思った。

富士ヒル前は42分を切れそうだった。

L2のトレーニングがてら、自走でヤビツに行ってTTした。

すると富士ヒル直後にもかかわらずタイムが4分も落ちた。

45分切れなかったのはショックだった。

 

レーニングを激しく再開した。

するとGaminから「オーバーリーチ」と怒られ、ストラバのフォームもー20を超えた。

北海道への日帰り出張、転職の面談などつづき、疲れていたところで7月14日、コロナになった。

 

熱は一晩で下がったのだが、体はだるい。

4日後トレーニングを再開した。

すると、咳がまた出てきて、やばくなった。

僕の場合、気管支が弱いのか咳が長引く傾向にある。

10年ほどまえに、咳がですぎて肋骨にヒビがはいったこともある。

なので、咳が止まるまでトレーニングは控えることにした。

週末のみロングライドのサイクリングで最低限の体力は保つようにした。

 

7月末、ヤビツへ。

今度は自走でなく、前と同じ輪行でいった。

この日は暑かった。表ヤビツならではの日差しが

首の後ろを刺した。

タイムはさらに3分ほど落ちた。た。

ベストタイムより7分も落ちた。

 

あてにしていた転職先が不合格通知。

他を複数すすめないとあかんと反省した。

 

8月になった。

8月12日に一泊で昔の出向先の友人たちと

伊勢志摩に男三人で旅行した。

ホテルは高級ホテル、温泉を楽しみ、松坂牛の

焼肉も楽しめた。

 

そのまま、お盆休みに突入。

自転車でいつものオレンジロード国民宿舎から引佐峠までTTした。

すると過去二番目のタイムだった。

嬉しかった。

ヤビツ以来、体力の急激な衰えを心配したが、

なんとか保っていた。

そして、そのまま浜名湖に脚を伸ばして

引佐峠から降っている時、落車した。

台風7合が過ぎた翌日で路面は濡れていて、しかも

木や石が転がっていた。

そこを通常の速さで降った。

40キロ以上はでていたろう。

後輪がわずかに小石に乗り上げた。

ブレーキをかけたら、両輪ロックですべりだした。

急ハンドルは危ないと思って、右カーブを曲り切れず

土手に突入して止まった。

 

落車してすぐに立ち上がったが、動画撮影の

カメラが吹き飛びレンズケースが割れた。

 

腕とせなかに擦り傷あり。

買ったばかりのサイクルジャージも泥だらけで、小さな穴があいた。

自転車をみると、前輪のブレーキがキーキーなっている。

あとチェーンが落ちていた。

直していたら、雨が降ってきた。

まさに「泣きっ面に蜂」の心境だ。

 

雨が止んだ。

頭がアドレナリン出まくっておかしくなっていたのか、

さらに進もうとした。

すると、今度はカメラが舗装面に落ちた。

マウントのネジがダメになっていたのだ。

ここで気づいた。

「今日は進む日ではない、帰るべきだ」、と。

この日の動画は、↓↓↓

youtu.be

 

翌日は晴れたので浜名湖一周した。

カメラはないので、動画撮影なし。

帰りに、ペダリングすると周期的な異音がきこえたので、

BBの故障かもしれず自転車屋に寄った。

すると、ケーデンスセンサーがフレームに擦れているのがわかった。

それと、落車時に傷をみせたところ、

「カーボンが割れているかもしれないので、ショップの人にきいたほうがいい」

と言われた。

そして、ショップにきくと、「カーボンドライジャパン(CDJ)でみてもらったほうがいい」と。

翌日、実家から弟に頼んで100キロにあるCDJに行ってみてもらった。

すると、カーボンフレームは割れているとの結果だった。

その時の動画は、↓↓↓

youtu.be

カーボンにひびが入った場合、

1 気にしないでのる

2 修復する

3 フレームを新品にかえる

が、2は自分でやる(DIY)するか、業者に依頼することになる。

CDJにきいたら、年末までかかるとのこと。

1はやはり、不安感満載となるのでやりたくない。

3はお金もかかるし、フレームもすぐには手に入らない。

そこで、作戦としては、

1 DIYして短期的にはのる

2 長期的にはフレームを買う。加入している車両保険を使う

ことにした。

段取りを考えると、まず保険請求するには事故証明が必要。

事故証明発行には警察の実況見分しないといけない。

また、東京から実家にいかないといけない。

たまたま週末、実家方向にキャンプにいくので

そのまま週末実家に帰ればいけないこともない。

そうすることにした。キャンプの後、自転車を持って実家に帰るわけだ。

 

さて、振り返れば今年の願いは

1 娘の進級

2 富士ヒルブロンズ

3 転職

だ。

1の娘の進級試験が8月末にある。

自分の試験ではないが、本人頑張ってやっているのを

サポートしてあげないといけない。

 

8月末の試験当日。

僕はキャンプ場にいた。

3ヶ月前から予約していた南伊豆夕日ヶ丘キャンプ場。

車で向かっているとき、試験は午前中で終わるはず。

午後1に奥さんに電話したら、

「試験できたとLineしてきたよ」

とのこと。

娘は試験の結果がいいと、早々とLineしてくる。

できないと何も連絡はない。

 

嬉しかった。

なんとか乗り切ったらしい。

ずっと睡眠時間削っていたので

完遂できたかすら心配だった。

 

朗報のおかげで、キャンプ中は上機嫌で楽しめた。

キャンプの様子はこちらから、どうぞ↓↓↓

youtu.be

 

実況見分は無事おわった。これで保険請求できそうだ。

認められるか微妙ではあるが。

保険では鑑定が必要となる。それまで修理はできない。

だから実走はしばらくできない。

 

そんな中、9月24日にエントリーしていた赤城山ヒルクライムレースは

DNSすることにした。

転職活動もあり、自転車もこういう状態なので、レースに出て

事故したら大変だからだ。

 

ただ、コロナの後遺症もなく、娘の試験も無事終わり、あとは転職活動、保険請求

レーニング本格化とやっと秋風が吹くころには目処がたちそうな流れになってきた。

 

というわけでこの7月、8月大変でしたという話でした。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

心のリミッターを解き放つ

239日ぶりのブログ更新!

今日はタイトルの「心のリミッターを解き放つ」について少し書きたい。

最近、これを痛感する。心、つまり主観は、自分や周りを予想して、次の行動を指示する。たとえば、昨日は4時間しか寝れなかった。すると、「朝は睡眠確保するためにいつもの5時ではなく6時半に起きる。トレーニングはパス」と計算する。

ところが、朝5時前にスッキリと起きれた。次に心は、トレーニングする際「今日は睡眠不足だからいくらなんでも強度の強いメニューは無理」と指示する。でも、「できるところまでやるか」と思ってやってみると、トレーニング今週2日なので「整っている」。客観的には2日目は、1日目から体が慣れるから、当たり前のことだ。思い(主観)と実際(客観)はこのようにずれる。

「睡眠時間短いから、トレーニングできない」というのは、結局根拠がない(根拠レスなのだ。心のリミッターは、意外と根拠レスなところで自分の行動にストップをかけたりする。そういうリミッターは、なにか説明不能な次元で自分を守っていてくれるかもしれないので常に外すこともないが、時に解き放っても良いと思った。

#パワートレーニン

お気に入りの公園で日向ぼっこ中

今日はちょっとした傷心の日。

ヤビツにTTしようと張り切って朝起きて、いつものように輪行していた時、YouTubeで撮影しているカメラがないことに気づいた。

これがないとただ登るだけ。

それに朝からボケてて何回も忘れ物を家にとりにゆき、いつもより30分も遅い。

今日はボケて登って事故に遭ったら大変だ、とも思いヤビツを諦めた。電車を乗り換え元に戻った。

そして休養日で家からも追い出されたので(笑)、いつもの公園で日向ぼっこ中。綺麗な風景見ながら、リラックス♪f:id:jnxjent:20221106134547j:image

これも悪くない😊