思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

地元クラブの飲み会

今日も午前9時から午後1時まで卓球した。

昨日も練習があってその後皆飲み会にいったけど、僕は我慢して帰ってきたので、今日は飲み会に参加した。本当に久しぶりで、2ヶ月ぶりくらいの参加だろうか。

相変わらず楽しかった。

 

卓球クラブのメンバーだから、皆卓球は一番だが、それ以外の話も結構する。

大抵、家族の愚痴だったり、携帯が格安スマホで安くなるとか、最近のニュースなどいわゆる雑談だ。

だが、気を使わない、でも卓球を愛するという点でとても付き合いやすい。

誰が威張ったり、苛めたりすることもなく、卓球&雑談で盛り上がる。

 

飲み会だから当然酒も入るが、飲めない人も参加して、その人の参加費用はディスカウントされる。

昼のせいもあるが、2000円ちょっとだ。

 

昼下がりの空は、若干のんびりした茜色である。

「人生楽しく生きる」という点では、なんともそれに近いコミュニティと思う。

 

 

 

疲れ

忙しい日が続いている。やる事も次から次へとでてきて、あっという間に午前中が終わり、そして午後が終わる。中には、くだらない仕事もあり、なんでこんなことを自分がやるのかと欲求不満がたまる時もある。このようなことが続くと、疲労が蓄積する。

 

いつも夏休みを7月、8月にとっていたが、今年はとれていない。疲労の蓄積はそのせいが大きいと思っている。だが、やっと1週間後には休みがとれそうだ。

リラックスして、美味しいものを食べ、のんびりしたい。

 

山小屋とかで、いい感じで休めているときは、体の中からストレスが発散されていくのが、体感できる。骨か筋肉かに溜まっていたものが、外にでていく感覚だ。

いつもは知らず知らずと緊張していて、ストレスを溜め込んでしまっている。

 

仕事、卓球、ピアノの優先順位だが、最近なかなかピアノまでたどり着けない。

卓球も先週はいつも週末は毎日練習なのに、1日外出日にした。

今週末は3連休。しっかり体調整えて、来週の仕上げを予定通りやりたい。

 

 

チームワークの力

今週は仕事の山場だった。最初の成果物がダメ出しされたが、再提出でなんとか土俵にのり、そのあとのプロセスに行けて、今週の予定通りのところまで行けた。

(これで夏休みがとれそうだ。ヨッシャ!)

 

今回の仕事ではチームワークの妙を本当に味わえた。

自分だけだと到底及ばない。4名いれば、成果がそれ以上になるのを感じた。

皆、目標は同じで、それに向かって努力し、そしてお互いフォローし合ってくれた。

 

あとチームの外のサポーターも、あっと驚く段取りでプロセスを速めてくれた。

その道のプロのその人は、素人の僕には及びもつかない視点でみていることがわかった。

 

目処がついた昨日はタイミング良く、夕方に打ち上げがセットされていた。

その人も入ってチームで美味しいお酒が飲め、場も大いに盛り上がった。

 

人間は各個人が頑張ることは重要だが、一人だとやれることの限界がある。

「人間は社会的動物である」と言ったのはアリストテレスだったか。

チームワークの妙をこれからも味わいたい。

 

 

ストレス管理

今朝起きたら、雨が降っていた。

雨は強めで、音は一定のリズムだ。

しかも、昨夕からずっと降っている。

長い。これが、まさに秋雨なのかもしれない。

 

昨日の卓球練習は中々楽しかった。

全国レベルの選手に1セット取れた。

1ー2で迎えた4セット目、7ー7の後のスマッシュミスが痛かった。体制若干崩していたから、無理打ちしなければよかった。2ー2になっていたら、勢いで勝てたかもしれない。

 

最近、仕事が忙しくて、気持ちも張り詰め、神経もやや過敏になる中、このように運動で楽しむのは、とてもいい気分転換になる。

 

卓球でも何でもいいが、ストレス管理は意識的にやらないといけないと思っている。

 

 

 

リラックスできる夜

夏休みをいつも7月か8月にとっているから、8月の終わりまでとっていないのはキツイ気がする。

加えて今年はとにかく暑いし。ただ、根本は管理系の仕事だから几帳面にやらないといけないし、先へ先へ考えて行かないといけないせいだ。

 

そうなると、上手く休むことを積極的に考えないといけない。

今日もそんな1日だった。

午前中、娘にせがまれて卓球のラバーを買いたいということで店まで付き合った。

そこでは練習もできるから、午前練習した。

家に午後帰ってきて、時間はあるからどう休もうか思案した。

色々作業をしたらうまい具合に3時過ぎになり、昼寝をして、夕方5時を回った。

 

いい感じで時間を過ごしているが、まだ疲れがとれない。

というか、日頃の先考えるモード、つまり焦りモードから抜け切れていなかった。

 

最大のチャンスの晩酌タイム。。

で、今日はこの時を上手く過ごせた。

定量の掟の中、ビールオンリーにするか、ビールとワインにするか一瞬考えて、後者にしたら当たりだった。

自分に合う白ワインを味わってると、酔いとともに、焦りとか、ストレスとか身体から抜け出て行くのがわかった。このように、いい具合にストレス発散できてる時は、身体から疲れが外に抜けてくのがよくわかる。山小屋に行って、いい空気を吸いながら昼寝してると同じような感覚を味わう。

 

今夜は、好きな音楽をきき、酔いが残るまま身を任せる。

お陰で、今晩はこのようにハッピーに、のんびり過ごせそうだ。

 

 

 

自由であることの義務

最近忙しかった。8月のお盆の夏休みは早々に諦めたが、9月になんとか取りたいと思っている。

 

時に夜中の3時ごろに起きる。仕事のある事をかんがえている。どうでもいい内容をかんがえている。下手すると解が出ないことをリピートして考えている。そんな時は、本を読みながら、再度寝る。だいたい30分から1時間後に入眠する。ぶっ通しで寝てるのと違うので、寝覚めは良くない。大抵、朝の電車で寝落ちする。

 

組織上、多少上の立場になると、その分責任を負い、かつ忙しくなる。

上になった時は、「皆のいいところを活かす」を言う事を、最大の目標にしようと思っている。なぜなら、そうすると皆頑張り、結果チームの仕事の質もあがり、自分も過度に忙しくならなくて済むからだ。ただ、「皆のいいところを活かす」のは、いいところを見つけて仕事を割り振り、かつ作業ではバックアップを別の人にお願いするなど、複雑な操縦が必要となる。でも、チームの結集の結果は、大抵一人が頑張った結果以上にはなる。

 

チームの中には、たまに鬱になりそうなの人がいる。

神経が細やかで、真面目で、頭もそこそこ働く人は、その分状況に合わせてバランスをとらないとフラストレーションが溜まって、鬱に向かって行くように見える。

それを解放の手を向けてあげたいけど、そこが僕の限界である。

ひたすらその人のまくし立てるだろう話を2ー3時間聞くのか、自分が対案を示した時に本人が拒絶した場合にどう対応するのかなど考えると、なかなか手を差し伸べられない。

ただ、ちょいちょい声をかけてコミュニケーションを取るようにしている。

 

ともあれ、そもそも日本は共産主義でもない自由主義だから、本人の行動は自由である。

実際、職業選択の自由表現の自由基本的人権の尊重、一応全て憲法で保証されている。

会社でも、誰かが何かを強制するということは少ない。あるとすれば、勤怠義務と「指示」された事だろう。それ以外、休むと言えば休めるし、仕事を受けたくないと言えば、理由を言えば外してもらえる。

 

一般的に自由というのは選択が広がる。

ただ、選択が適切でないと鬱になるという事もある。

 

自由主義では、自分がどう生きるか決めていかないといけない。

自由主義の宿命である。

 

 

 

 

 

 

心ある作品

ラ・ラ・ランドアマゾンプライムで見た。

音楽が素晴らしかった。オリジナルの音楽で、俳優の歌い方が自然で、アカデミー賞女優賞、作曲賞はじめ様々な賞に輝き、米国のミュージカルを一段レベルアップした作品となったと思う。

音楽は何度も聞いているので、時々思い出す。今日午前、卓球の試合をしている最中に、メロディーが頭の中に流れてきて、即座に打ち消した。

 

午後はゆっくりしていたので、ピアノを触ってラ・ラ・ランドのテーマをピアノで弾いた。

アマゾンミュージックでいつでも再生できるから、iPadをピアノに置いてぽろんと弾ける。

曲自体シンプルだから、弾いててそこそこいける。

歌も男優のライアン ゴズリンが素人っぽいので、自分の方がいい声かもと錯覚しながら小声で歌った。

撮影時も多分自然体だったろう。実際エマストーンとのデュエットでは、彼女は途中で笑っていた。

 

今のようなガチガチの世の中で、それを破って人間の生み出す力とか、作品とか出してもらって、それらと会い、ガチガチ感から抜けられる時は本当に嬉しい。

こうした中では、無駄を生み出すのは難しい。今の社会は、多分理由がないと、人は無駄をしないからだ。

 

ただ無駄は所詮無駄、理由を作るのは難しい。一方、無駄がないとおそらく人は早くに死んでしまうだろう。無駄、さらに芸術は、もっともらしい理由を必要とする世の中になっているのかもしれない。

採算とか、受ける層のマーケティングなどの事業計画、さらに差別とかコンプライアンスに触れてないかのチェック、昔ノリで通った企画も、今はかなり通るハードルは上がってるのではないかと想像する。

 

僕、つまり一ユーザとしては、世の中に出るハードルが上がっても、人間らしい、しかも感動する心情そのものを表現した作品なり、音楽を味わいたい。というか、浸りたい。