思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

持つべきものは友!

ようやく東京に戻ってきた。

両親、兄弟、叔父さん、卓球仲間、中学の同級生、今回多くの人と交わった。

エピソードはいくつかあったが、今日はまず一つ紹介したい。

 

1月1日にアマゾンで買ったドローンが届いた。

1万円程度のチープなものだが、アマゾンで評判が良さそうなので買った。

何で買ったかというと、元々ドローン撮影とか興味があったし、インターネット技術をつかった物、いわゆるIoTの一例を体感したかったからだ。

 

開梱して、すぐに飛ばせた。ただ、操作が難しくて8畳の部屋でドローンは各所に激突した。

操作スティックの動きと、ドローンの動きがどうも違っていてスティック操作は困難だった。

 

しばらくやってみて理由がわかった。

なんと、ドローンの前方を認識していなかったのだ。カメラのついている方が前方だった。

自撮りしようとしていたので、カメラが後方を向いており、前後の操作がスティックの動きと逆になっていた。

 

こうして室内でうまく飛ばせるようになったので、屋外に出た。

屋外の撮影もできた。初のドローン空撮だ。

これは、感激した。ドローンから送られた録画映像をみると、普段見れない視点で、自分が見たような感覚になる。

 

もう日が落ちていたが、もっと広いところでやろうと思って、近くの公園に移動した。

電池がなくなると嫌だったので、スペアの電池まで持っていった。

公園で飛ばすと、確かに電池がなくてドローンは低いところから飛び立たなかった。

 

電池を変えて、飛ばした。するとぐーんと垂直に上がった。7ー8メーターは上がったろう。

レバーは感情が入って、上げフルスロットルだ。空高く上がった。

 

すると、風に煽られて、東南に飛んで行った。

ヤバイ、と思った。このドローンは50メートルを超えると制御不能となる。

もう、小さくなっていった。工場が公園の横にあり、その上を通るのを見送った。

目は多分、半分泪で潤んでいたと思う。

 

自分で反省の弁をブツブツいいながら、落ちてないか探した。

工場の周りを丹念に探した。日が落ちてきて見えなくなってきたし、人の敷地内は入れないので、諦めて家に帰った。家で家族に説明、雰囲気が一瞬重くなった。工場の屋根は、工場の許可がないといけない。そもそも工場の屋根に行く方法があるのか?その工場の屋根は昔ながらのノコギリ風の形の屋根だ。工場の人を話すのやだな、とか雨が降ったらドローンは死ぬな、とか考えながら、重い心で寝た。

 

さて、翌朝、いい塩梅に晴れた。

父親も前の晩考えてくれて、はしごを持って屋根をみてみようと言ってくれた。

工場は事務所を覗いたが休みだったので仕方なく、はしごをかけて屋根をみることにした。

落ちている可能性のあるノコギリ屋根は2ー3箇所だ。

最初の箇所にはしごをかけたが、最上まで登って、なんとか顔が屋根の上に覗く程度だった。

みた。でも、ドローンは見当たらなかった。またノコギリ屋根の下には側溝があるが、そこに落ちていたら見えない。

 

下からは実家の皆が出てきて、早く降りろ、危ないと叫んでいる。

うるさく言われる方が危ない、と思ったりしたが仕方がない。

もう一つの箇所を見ようとしたが、はしごの下に集まった家族の猛反対にあった。

はしごから落ちて脊髄損傷で半身付随になったらどうするとか、話が大げさになってきた。

で、諦め、一旦家に帰った。

 

でもモヤモヤ感は当然とれない。落ちてるかもしれないと思って、最終確認に現場に戻った。

実家は僕がはしごを持ち出していないので、平静だった。

 

まず、落ちてる箇所は幼なじみの家なので、一昨日たまたまあったし幼なじみに事情を話した。

すると、家の2階から工場の天井をみてくれた。

「ない」という。

その間、僕はドローンが落ちていないか庭の中や、植木を探していた。

すると「裏にきてみて」とその友人が言う。

裏には彼の店の事務所があって、その2階からみると、なんと、昨日見損なった箇所の屋根に黒いドローンらしき物体があった。

「あれだ〜!!」相当、間抜けな声を出したと思う。

 

次にどうやって登るかだ。

その家には、昨日使ったものより高いはしごを探したが、ない。

では、実家から昨日使ったものを持ってこようとした。

あれは短いので、はしごから屋根へ移る時と戻るときがとっても危ない。

すると、その友人が、工場の西側に非常階段のような鉄はしごがついているので、そこから登って屋根つたいに行くのはどうかと言った。ただ、ノコギリ屋根の工場の棟まで繋がっているかわからないという。

 

ともかく、その鉄はしごを登った。

(ちなみに、工場は休みだったので、誰もいなかった)

屋根に出た。これでノコギリ屋根の棟までいければ、ドローンを回収できる。

繋がっていた。

ドローンを無事回収できた。

戻って、友に満面の笑みで手を振った。友人も喜んでくれた。

 

確かに、自分だけだったら、ドローンを発見できても短いはしごで怪我をした可能性もある。

友人がいたから、ドローンを発見でき、しかも安全に回収できた。

 

あいもかわらず、小さい時から助けてもらった気がする。

持つべきものは友。

それを痛感した。

 

 

 

 

 

年末年始、帰省中

早いもので、28日に帰省してあっという間に大晦日になった。

恒例の実家に帰省だが、両親や同居している弟夫婦が一緒なので賑やかだ。

つかの間の一人の時間なので、コーヒーを挿れて寛ぎながらブログを書いている。

実家は海のものも豊富だし、畑でみかんとか大根とかも取れる。

山小屋でいい空気を吸い、かといって周りは何もないわけではなく、ショッピングモールが車で30分以内に5ー6もあるから買い物の不便はない。

何不自由ない生活質だ。たしかに幸福の都市ランキングで上位にくるのもわかる。

 

60歳までは子供の学費等で身動きはとれないだろうが、そのあとの生活はそろそろ考えなければいけないのかもしれない。ただ、今のところ仕事も忙しく、休みもこんな感じでエンジョイしているので、先の事を考える気がしないのが正直なところだ。過去を悔やまず、将来を憂えず、今を楽しむということでいいのかもしれない。

まだ、休みは続く。

 

明日は元旦、また忘れないように元旦の計を考えよう。

 

1日早く休みと取るべきか

そういえば、毎年の仕事納めの日、最近ほとんど休暇を取っていた。

昨年もたしか12月26日から休みをとったものの、部下から電話やらメールをもらい対応に苦慮した。

なので、今年は、中途半端にせず片付けて休もうと思っていた。

 

とはいえ、人間は弱いもの。

仕事納めよりも1日早く、つまり今日から休みを取ろうとし、実際休暇を取得していた。

ロジカルに仕事の進捗を考えれば、今日から休みをとって大丈夫なはずだ。

でも、昨日の夜、帰りの電車の中で30分考えた。

まず、今日から休んだ場合、年末年始の休みに気がかりがつきまとう可能性がある。

次に、年明けの出だしで1ー2日はロスする可能性がある。

さらに、納会があり、そこで色んな人に会える。

ということで、結局今日会社に行った。

「これって休日出勤か」と思ったが、大体有給休暇は余るので1日有給を無駄にしても怪我はない。

 

結果は良かった。

仕事を今年やるべきところまでできた。

1日を使って、今年の仕事をまとめられた。

そして納会では実に多くの人と会えた。

 

翻って、なぜそんなに悩んだろうと考えた。

最大の理由は、少しでも早く実家で早くくつろいで、美味しい料理を食べたかったからだ。

そして1日ずれると、帰った日の夜卓球の練習がある。忙しない。

ただ、いずれも大した理由ではない。

 

人、僕は特にそうかもしれないが、そこに焦点をしぼると、そこの達成のみに目が行って、全体のバランスが見えなくなる時がある。

 

「部分を見る」、「全体を見る」、もちろん対極的なことだ。

流行りの「オブジェクト(目的)思考」だと「部分を見る」ことになりがちで、メリットは目的意識で集中できるのだが、デメリットは全体を見れなくなることかもしれない。

 

このように個人的に1日早く休みをとるかどうかという小さな論点は、悩んだ分教訓を学べた気がする。

 

友人からのクリスマスカード

今年もアメリカの友人夫婦からクリスマスカードがきいた。

いつもセンスがいいカードで、アメリカのクリスマスの雰囲気を思い出す。

 

確か2000年くらいだったか。ロス近郊のアーバインで、12月出張となり仕事が延びて下手すると年越しをしそうで焦っていた。

街はクリスマス一色で、空港では高校生がクワイヤとなってクリスマスソングを合唱していた。

家には生まれたばかりの子供がいた。

何とか仕事を調整し、クリスマスイブに帰国した。

1メートルはある特大のミッキーマウスを土産に持って帰った。

 

その友人からのクリスマスカードをもらうと、なぜかそのアメリカのクリスマスの雰囲気を思い出す。

その友人は仕事のパートナーで、とても元気で紳士だった。

英国のジェントルマンらしくフェアで、ぼくが間違いをしても、ニコニコ笑っていた。

ちょうど親父を同じ年だった。

彼には子供がいなかった。多分、半分息子のような感じで可愛がってくれてたんだろう。

彼との仕事はうまくいき、名パートナーシップと言われた。

 

クリスマスカードにはいつも詳細な夫婦の一年が書いてある。

今年も何気なく読んでいたら、なんとその彼が癌になったらしい。

もう転移して治療の余地はなく、痛みを和らげるくらいだとのこと。

ただ、本人はまだ元気で来年にはアジアに来たいといっているらしい。

 

心が沈んだ。

まさに沈むという感じで、鉛の塊を飲んだ感じがした。

何も言葉が出なかった。

人生は、色々あるが、親戚や友人の死別はとても辛い。

ともかく、今年もクリスマスカードを送り、そして一言添えたいと思っている。

痛みなく、人生を全うすることを祈るのみだ。

 

自分の人生も悔いなく生きないといけない。

将来の留保はなく、1日、1日を悔いなく精一杯やることだ。

それしかないと思う。

 

家族、友人との関係

人間、一人で活動することが多いが、1日単位で過ごす時間が多いとなると、会社の同僚とか部活の同僚だろう。

ただ、長期にわたって過ごす時間が多いといえば、家族、友人になることは分かるだろう。

 

時間を多く過ごす人との信頼や、コミュニケーションは大事である。

多くの時間を過ごす人とは、ある意味慣れているから、失言も多くなる。

もちろん帳消しにする機会も多いから、結果大丈夫なことが多いが、大きな失点が続くと、関係にヒビが入ることがある。

 

ここで言いたいことは、多くの時間を過ごす人々とのコミュニケーションなり、信頼に高い優先順位を与えないといけないということだ。

このことは自然体より、むしろ意識した方がいいだろう。

当たり前のものと油断していると、関係が崩れた時、失ったものの大きさに驚愕するかもしれない。

 

「ある時に全く見えないものでも、失った時にその大きさに気づく」

そんな教訓めいた事を、学校ではあまり教えてくれない。

荒海の小舟

9月末にとった遅い夏休みの時には予想していたが、年内相当忙しい。

仕事、卓球、京都旅行と続き、ゆっくりと、ぼーっと半日くらい過ごすことがほとんどなかった。

ゆっくり休めば、力も戻り、明日への活力も湧いてくるのに、今はただ日々過ごすのに精一杯だ。

 

日々忙しいのは、暇よりはいいとは思うが、心に小さい焦りもある。

将来に対する指針を見出していない。

荒海の中で進むべき方向も見出せず漂う小舟のような感じだ。

見出せないときは開き直って、運命に身をまかせる手もあるだろう。

今はそうしている。ただ、その期間も指折って数えると6ヶ月以上になる。

 

来年の4月まで、ここ3ー4ヶ月で大きく数年の過ごし方が決まるだろう。

そうすれば4月からまたギアをかけて進まないといけない。

 

優先順位としては、

心身ともに健康であること、あと家族円満だろう。

まずこの二つを大切にしないといけない。

留意して進もう。

 

紅葉の京都旅行

ブログを3週間近く更新してなかった。

というのも、仕事、旅行などで忙しかったのが大きい。

 

仕事は置いておいて、旅行は三連休の11月23日ー25日に京都に行った。

昔一緒に働いていた友人が、ゆかりの数名とともに京都に招待してくれた。

京都は昔1年ほど住んだことがあるが、当時浪人生だったこともあり観光地としての京都を味わえなかったが、今回は思いっきり堪能できた。

最初の訪問は都の西北高山寺、日本最初のお茶畑がある。西明寺神護寺へ。神護寺空海の開いた寺だ。

 

2日目は嵯峨野の宝筐院へ。

ここも紅葉も綺麗だった。

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紅葉もさることながら、南朝北朝首塚が仲良く並んでいるのが印象的だった。

なんでも勝った北朝室町幕府2代将軍 足利義詮が、四條畷の戦いで死んだ楠木正成の長男である正行とともに葬られたいという意向でそうなったらしい。

宝筐院の後、アート感 満載の豪華ランチを食べ、保津川の川下りをし、夜は先斗町のおばんざいの店に繰り出した。

こんなにおばんざいが美味しいと思わなかった。茄子の煮びたしや、タニシを食べながら日本酒を酌み交わした。

 

3日目は天龍寺から龍安寺に足を伸ばした。

龍安寺の石庭は、まさに禅の世界。

15の石が見えるかとか、グルーピングによっては七五三(計15)とか、確かにこの石庭は思索に耽る材料となりうると思った。

最後、銀閣寺をみて、お土産のアップルケーキを地元の評判の高い店に行った。

そのケーキ屋の実の苗字は、銀閣寺近辺では多いらしい。ケーキ屋の事をきいた土産屋も表札の苗字も同じだった。土産屋はそのケーキ屋をなんとかさんと読んでいた。同じ苗字が多いから、サブネームのようなもので呼んでいるらしい。今度そのいわれを聞いてみたい。

 

京都旅行のインパクト凄まじく、帰ってきたこの1週間、余韻に浸っている。

訪問先でもらったパンフレットは今回珍しく取ってあるので、また見よう。

 

その友は2日目、宿が取れなかったといって自宅に数名を泊めてくれた。

嵯峨野で嵐山が借景にできるいい家だ。

友の導きなしに今回の旅行は有り得なかった。

「持つべきものは友」

至言と思う。