思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

待ちによるフラストレーション

待つのは、苦手である。

多少せっかちかもしれないが、自分で行動を起こす。

例えば、立食パーティでも自分から声をかける。

仕事も起案する事が多い。

他人は自分の事で精一杯であり、他の人に気を回していない。

だから、自分が動かないと、人は動かない、と思っている。

 

今は仕事で待ちが多い。こちらは早く作業するのに、返ってくる時間が遅い。

このやりとりのスピードが遅いと、年末の休みが1日づつ減ってゆく。

 

焦りはあるし、正直、このような業務フローは大いに問題だと思い始めている。

正直、フラストレーションが溜まる。

 

来年のテーマへの雑考

昨日は今年最後の卓球の試合も終わり、来週は仕事のラストスパートである。

予定通り、今日の一杯は、今日の練習の疲労感を残しつつも、ここまでたどり着いた満足感がある。

 

仕事のスケジュールが立てやすい職場なので、9月くらいから年末までの予定をたてていた。

ともかく、来週で今年の仕事をやりきれればベスト、でも再来週1ー2日食い込んでも仕事を完遂したい。

 

今の課題を言えば、先のことを細かく考えすぎて、やや疲れる事だ。

しかも、大抵の行動で、もっとこうすれば良かったと小さな反省までしている。

これでは気疲れして人生の時を楽しめないと思い ながら、中々このパターンから抜け出せない。

 

抜くとこは抜き、締めるところは締める。

(正に卓球のプレイと通じるところもある)

このメリハリが来年の自分のテーマになるかもしれない。

 

幸せと「茹でガエル」

最近、何となく幸せ感を味わっている。

この厳しい「人生道場」にあって、それを味わえる時は、正直滅多にない。

 

何故、今味わえるかと考えてみると、まず仕事が順調な事だろう。

1年たって仕事になれ、信頼ができたのか周りもサポートしてくれる。

何より自分が一番嫌な、「暇な時間」が無い。

 

次に、家庭が安定している事だ。

家族共々元気で、それぞれ頑張っている。

子供は、年末のバイトで、バイト先から「面接で年内は働かないとは言っていなかった」と言われたらしく、そのように社会と小さな戦いをしているようだ。

家内も、家中心にしっかり対応している。

 

幸せに感じる要因はそんなもんだが、考えようによっては相当幸せなのではないかと思う。

一方、「茹でガエル」つまり、幸せに浸って、熱湯から飛び立てずに死んでしまうカエルの故事を思い出す。

 

ただ、幸せだから、必ずしも茹でガエルになるという事でもない気がする。

 

 

 

今年を少し振り返る

今年も気がつけば残すところ3週間。

今年を振り返ってみると、まずは子供のセンター試験から始まった。

正月、実家にいる自分のところに東京にいる娘から電話がきて、

自信ないとの事だった。

センター試験の当日も相当の緊張ぶりだった。

試験会場まではげましながら2日間おくりむかえしたのが、ついこの間の事のようだ。

 

子供の受験がおちついたのが3月終わり。4月からルンルンの新生活を送っている。

小さな悩める事が起こっても、受験を考えれば大した事ないらしい。

まず、今年を振り返ると子供の受験ばかり思い出す。

 

自分は、卓球をし、仕事をし、と単純だった。

仕事は新しい部署にも慣れて、こちらは順調にやっている。

来年期限がきて、また新しい部署に変わる可能性が高い。

毎日、細かい事に頭を使いながら、なんとか生活してきたという印象だ。

 

それにしても今日もいい天気だ。

日差しをみているだけで心が和む。

 

緻密な議論

思うに、世の中人は大抵、僕より緻密な気がする。それはさて置き、今日も仕事で、緻密な意見が交わされた。

聞き逃したりできないから、集中してやりとりして、わずか1時間弱の打ち合わせだが、結構疲れた。

プレゼンした相手のコメントは緻密だ。多分、それらの日本語は外国語に翻訳とか無理ではないかと思ってしまう。

「その点は、相手が状況はわかっていて敢えて言っている中、こちらがその状況を前提とした手続きを言うのはどうか」という感じだ。(実際、そういう会話がなされたという事ではなく、そのような感じということだ。念のため)

 

一般的に影響度が大きい内容は、自然と議論を緻密にせざるを得ない。

多くの人が見て、それを元に判断し、アクションを起こしてゆくという膨大な後工程があるからだ。

 

そういうメカニズムが分かると、緻密な議論も嫌ではない。

ただ、緻密であればいいというわけではなく、本質から外れた枝葉末節な議論は本末転倒な時が多いと思う。

 

という事で今日は堅い、堅い話題でした。

 

雨の休日

休日。

外は雨。

それも、どしゃ降りに近い。

 

空は暗く、気温は低い。

こういう日は外出は避けたい。

 

FBとかみると、こんな雨なのに、結構ドライブで遠出したり、ゴルフしたりしている。

 

僕は今週日曜日試合なので、それに合わせて適度に練習したり、休んだりするだろう。

 

今日も午後練習があるが、いっそサボってしまいたいと思う。

でも、結局行くんだろう。なにせ、迷った日に練習に行かなかったことは一回もないから。

 

まだ、時間があるから、ノンビリすごそう。

 

 

近い将来、つまらないルーティーンの大半はIT/AIに置き換わるんだろう

 毎日、大なり小なり驚きがある今日この頃、印象的だったのはGoole翻訳の英訳の精度だった。

 

仕事で、日本語文書で機械的な英訳があった。

「こんなの馬鹿でも出来る」と思って、Google翻訳に日本語をコピペしたら

かなり完璧な感じの英語に翻訳された。項目立ても崩れていない。

正直、驚いた。

英語が苦手の人の英訳より、ずっと良かった。

 

その翻訳されたものを別WORDファイルにコピーして手持ちとし、あとは、英訳するファイルにそれ部分的にコピペしたら、作業がとっても短時間に終わってしまった。

 

素直に、Google翻訳の英語翻訳の精度がすごく上がっていると感じた。

もちろんパーフェクトではないから、翻訳結果は人の目でチェックは必須。

例えば、「電子媒体」をElectric mediumと訳していた。

これは、digital media とか、せいぜいelectric mediaだろう。

 

このような誤訳が、どうフィードバックされてGoogleが精度を上げていかは謎。

多分、Google様はスマホからの履歴とか、うまくフィードバックをかけて精度をあげているに違いなない。

 

こんな卑近な例でも、人間の仕事がどんどんITとかAIで効率化されていくのを感じる。

今日昼たまたま皇居の堀沿いに止めていたハトバスの運転手が、暇そうにスマホを触っていた。バスの運転手も、多分、大半自動運転になるんだろう。

 

人が直感的に「馬鹿らしい」、とか「おお、苦痛」と思ってしまう単純作業は、将来全てIT、AIに置き換わるんだろう。それは正しい方向だと思う。

 

「じゃ、人間は何をやるの?」と聞かれたら、かっこよく、「それ以外でしょー」

と答えるのかな😄