家族、友人との関係
人間、一人で活動することが多いが、1日単位で過ごす時間が多いとなると、会社の同僚とか部活の同僚だろう。
ただ、長期にわたって過ごす時間が多いといえば、家族、友人になることは分かるだろう。
時間を多く過ごす人との信頼や、コミュニケーションは大事である。
多くの時間を過ごす人とは、ある意味慣れているから、失言も多くなる。
もちろん帳消しにする機会も多いから、結果大丈夫なことが多いが、大きな失点が続くと、関係にヒビが入ることがある。
ここで言いたいことは、多くの時間を過ごす人々とのコミュニケーションなり、信頼に高い優先順位を与えないといけないということだ。
このことは自然体より、むしろ意識した方がいいだろう。
当たり前のものと油断していると、関係が崩れた時、失ったものの大きさに驚愕するかもしれない。
「ある時に全く見えないものでも、失った時にその大きさに気づく」
そんな教訓めいた事を、学校ではあまり教えてくれない。
荒海の小舟
9月末にとった遅い夏休みの時には予想していたが、年内相当忙しい。
仕事、卓球、京都旅行と続き、ゆっくりと、ぼーっと半日くらい過ごすことがほとんどなかった。
ゆっくり休めば、力も戻り、明日への活力も湧いてくるのに、今はただ日々過ごすのに精一杯だ。
日々忙しいのは、暇よりはいいとは思うが、心に小さい焦りもある。
将来に対する指針を見出していない。
荒海の中で進むべき方向も見出せず漂う小舟のような感じだ。
見出せないときは開き直って、運命に身をまかせる手もあるだろう。
今はそうしている。ただ、その期間も指折って数えると6ヶ月以上になる。
来年の4月まで、ここ3ー4ヶ月で大きく数年の過ごし方が決まるだろう。
そうすれば4月からまたギアをかけて進まないといけない。
優先順位としては、
心身ともに健康であること、あと家族円満だろう。
まずこの二つを大切にしないといけない。
留意して進もう。
紅葉の京都旅行
ブログを3週間近く更新してなかった。
というのも、仕事、旅行などで忙しかったのが大きい。
仕事は置いておいて、旅行は三連休の11月23日ー25日に京都に行った。
昔一緒に働いていた友人が、ゆかりの数名とともに京都に招待してくれた。
京都は昔1年ほど住んだことがあるが、当時浪人生だったこともあり観光地としての京都を味わえなかったが、今回は思いっきり堪能できた。
最初の訪問は都の西北の高山寺、日本最初のお茶畑がある。西明寺と神護寺へ。神護寺は空海の開いた寺だ。
2日目は嵯峨野の宝筐院へ。
ここも紅葉も綺麗だった。
紅葉もさることながら、南朝、北朝の首塚が仲良く並んでいるのが印象的だった。
なんでも勝った北朝の室町幕府2代将軍 足利義詮が、四條畷の戦いで死んだ楠木正成の長男である正行とともに葬られたいという意向でそうなったらしい。
宝筐院の後、アート感 満載の豪華ランチを食べ、保津川の川下りをし、夜は先斗町のおばんざいの店に繰り出した。
こんなにおばんざいが美味しいと思わなかった。茄子の煮びたしや、タニシを食べながら日本酒を酌み交わした。
龍安寺の石庭は、まさに禅の世界。
15の石が見えるかとか、グルーピングによっては七五三(計15)とか、確かにこの石庭は思索に耽る材料となりうると思った。
最後、銀閣寺をみて、お土産のアップルケーキを地元の評判の高い店に行った。
そのケーキ屋の実の苗字は、銀閣寺近辺では多いらしい。ケーキ屋の事をきいた土産屋も表札の苗字も同じだった。土産屋はそのケーキ屋をなんとかさんと読んでいた。同じ苗字が多いから、サブネームのようなもので呼んでいるらしい。今度そのいわれを聞いてみたい。
京都旅行のインパクト凄まじく、帰ってきたこの1週間、余韻に浸っている。
訪問先でもらったパンフレットは今回珍しく取ってあるので、また見よう。
その友は2日目、宿が取れなかったといって自宅に数名を泊めてくれた。
嵯峨野で嵐山が借景にできるいい家だ。
友の導きなしに今回の旅行は有り得なかった。
「持つべきものは友」
至言と思う。
大学の同窓会
先週末の土曜日には、大学の同窓会が行われた。
昨年に続いて、2回目。出席者も数名増えた。
会場は大学の中のレストラン。去年と同じ場所だ。
皆、自然と集まり、自然と会話した。
1時間ほど過ぎた頃、恒例の3分間スピーチをした。
お題は事前に「近況と大学時代の思い出」としたが、当日ゲストの人もいたのでお題はフリーとした。
皆、自然と話し、少し突っ込みも入り和やかに進んだ。
会場も時間となったので、記念撮影。
その後、2次会に移動した。
これも昨年に続いてカラオケだ。
入店していきなり曲を入れず、話した。
それでだんだん興が乗ってきて、曲を入れた。
入った曲はちょうど社会人になりたての頃の懐かしいスピッツの曲だ。
そこから皆々、好きな歌が入った。
誰の歌も皆お互い楽しみ、最後はゆずの「栄光の架け橋」で肩を組んで歌った。
なんとも楽しい時間だった。
これは仲間がなくては過ごせない時間だ。
皆の快感オーラもあったのか、普段の時を忘れた。
また来年参加ししたい。もちろん、カラオケも笑。
心の平和
午前中が休みというのは、とっても有難い。
気持ちのいい部屋で本を読んだり、ピアノを弾いたりのんびりできる。
普段、目的を持って色々動いているが、今、目的もなくほとんど停止しているという時間が貴重に思えてならない。
今日、日曜日の朝。外は日差しのみあって、音もほとんどしない。
こんな時を平和な時間というんだろう。
ふと思ったのは、心が平和になれないかということだ。
仕事の時はいつも何か目的があって、それに向かって準備したり、残業したりする。
締め切り、段取り、効果も考える。
そして目的例えば会議を終え、息も注がず次といった感じの日々だ。
心の平和を感じることは皆無だ。
卓球の練習も同様。
目的をもって練習をし、試合では集中する。
終われば、一杯飲んで休息に入り、プレイ動画をみて反省する。
心の平和を感じるとことはほとんどない。
一方、高揚感を味わうときはある。
ただ、そういう時は調子がいい時に限られる。
意識して生み出す心持ちではない。
心の平和、つまり自分や周りをみつめ、ポジティブに落ち着いて余裕をもっていられる心持ちを時間の合間に持てたら、疲労も少なくなるのではと思う。というのも、体同様に心も連続した緊張から一瞬解き放すことが重要だと思うからだ。
少し、留意したい。
大学卒業30周年ホームカミングパーティ
久しぶりに大学に行った。
卒業30周年記念パーティがあったからだ。
全部で170名ほどの大盛況だった。
最初は、知ってる人がわからなくて本当に戸惑った。
だが、目と鼻と口をみていると、当時の姿を思い出すことができるという事がわかり、見覚えがある人に声をかけたりした。
すると、教養時代のクラスの人を3名も会うことができた。
皆、働き盛りといった感じでエネルギッシュにかんじられた。
パーティには学長も来た。
スピーチはわかりやすかった。2025年問題があるという。若い人に将来を丸投げできない状態という。2025年問題はなんなのか後で調べてみようと思う。
そのあと、学部のホームカミング懇親会に移動した。
来たのは15年ぶり以上か。相変わらず、地味に静かに話していた。
中に今年もノーベル物理学賞候補となった先生もきていた。
普通に真っ当な研究者といった感じだ。
その先生に僕の当時の卒論パートナーだった大学教授の名を告げると、彼がノーベル賞に最も近いと言われているらしい。ずっと色んな賞をとって活躍している。
久しぶりにアカデミックな雰囲気を味わった。
また、なんと就職担当していた方がまだ学部の事務局長みたいな感じでいらっしゃった。
もう30年、70を超えてらっしゃるだろう。最後は若者と机を元気に片付けていた。
帰り、雨が降っていた。
傘を忘れたので、その事務局長の部屋にいったら
「返さなくていいよ」といってビニール傘を貸してくれた。
大学の建物はドアは開けっ放し。
当時をおもいだした。
また近々、傘を返しがてら、旧友の大学教授に会いに来ようかと思っている。
ストレス管理
やっと秋本番の季節となった。
今年の夏は、ひたすら暑く、台風もきて天候は大荒れだった印象が強い。
今は打って変わって、穏やかな日である。
いつのまにか緯度まで上がって、ヨーロッパの初秋の感じすらする。
いつもながら仕事は忙しい。週末はほぼ卓球。最近、その二つで疲れてしまってピアノを弾く力はない。今日の午前は、時間も余力もあるので、少し弾こうかと思っている。
今の管理系仕事でありとあらゆる事に神経を尖らせている時間が長く、頭を休めるのに一苦労だ。
些細な事が頭を数多く過ぎる。もちろん忘れ去ろうとし、脳を静めようとするが簡単にはいかない。
あるストレスを忘れるためには、別の事をするしかないのかもしれない。
小泉元首相が言っていた「ストレスの先入れ、先出しで乗り切っている」だ。
この辺のストレスの対処法、ストレスマネジメントは現代人の大きな課題となっているのだろう。
昔は、疫病や飢饉、戦争があって人はストレスの連続だったが、ぼんやりと長期的にストレスを感じる暇がなかったのかもしれない。
何かをし続ける、そして本当に疲れた時はゴロゴロして休む、その2つの生活パターンをするしかないというのが現状の僕の認識である。