白鳥の足
今日も忙しかった。。
年末だから、より多くの仕事を年内に済ませようとするからだ。
ただ焦って仕事が崩壊しないように、そんな時は一息入れることにしている。
なにせ初めての仕事が多いので効率化のハードルは高いが、工夫は続けている。
歳とともに、色んな物に対して感覚が研ぎ澄まされているように思うが、一方疲れるときもある。
疲れるけど、取り敢えず退屈よりよっぽどマシと思っている。
ただ、人間なんでも手に入った以上のものを求めてしまうから、どうしても退屈以上を狙ってしまう。そういえば、TEDで「人間幸福になる秘訣は?」という問いに対して、”Low Expectation(期待を低くすること)”と言って会場の笑いを誘っていた。理論的にはそうだが、期待値を下げるのは実際は難しい。
人間は、生物として地球上の物理法則である「乱雑さ(=エントロピー)増大の法則」に逆らって行動している以上、本能的に乱雑になりがちな傾向に逆らって上を目指すと僕は思っている。「二本足で歩行しているという奇跡的な事をしている人間がすることは。。」と誰が言っていたか忘れた。
よって、多くの人は向上心はあるが、一方周りを幸せに感じることができるかという、向上心と周りの幸せの最適値についてなんとなく考えているのではないか。
これらをスマートにできる行動できる人は、所謂「人生の達人」に違いない。ただ、そういう人も実は白鳥の水面下の足のように色々努力しているケースが多いのかなと思う。
結構、人は周りの他人から見るほど楽ではなく、みんな夫々頑張って生きてるんだろう。
という当たり前の事を思いながら、今日も了。
世界緊張
トランプの勝利は、個人的にはショックだった。
マスコミ予想通り、クリントンが順当に勝つと思っていた。
TV討論会でリードしたし、メール問題も選挙日直前にFBIは再捜査を断念したと発表していた。
トランプはTV討論会で劣勢となり、女性アナウンサーと言い争い、更に「負けたら選挙結果を受け入れるかわからない」と前代未聞な発言をし、完全に負け犬の遠吠え、状態だった。
結局、クリントンが勝つと多くの人も思っていただろう。
だが、結果は逆だった。
トランプは、アメリカの保護主義を掲げ、アメリカ人の本音かもしれない人種差別や女性差別を発言し、自伝によれば「敵には、復讐リストを作っていて、後で徹底的に仕返しする」と言っている人物だ。
ただ一方、一代で不動産王となり、共和党候補になるまで、対立候補を21人を倒してきた運と実力がある。
ところで、民衆は、理想より現実を選ぶという事をここ数年間、僕は痛感してきた。
原発廃止を謳う民主党が、昨年の選挙で再稼働を推進する現実路線の自民党に負けた。
当時、「民主党は耳障りのいい事しか言わない」と言われた。
もっとも政治は、選挙結果よりも、もっと現実的行動をとる。現実的というのは、「世の中こうあるべきだ」と民衆が想像するのと異なる選択肢を選んでゆくことだ。国会前で大規模なデモのあった「特定秘密保護法案」がいい例だ。
要すれば、今の政治は現実路線だ。理想主義は影を潜めてしまっている。
第二次大戦前のドイツでは、ヒトラーのナチス党が政権を取ったが、その理由はベルサイユ条約でドイツが不平等条約を負った民衆の反発から支持を得たものだった。その後、ヒトラーはアーリア人に至上主義、ユダヤ人の大量虐殺を行なった。
危険なシナリオは、現実的政策を出して政権をとったリーダーが暴走するというパターンだ。
ストップする政治的機能がない限り、リーダーは暴走可能だ。
因みに今のアメリカは、大統領は犯罪を犯さない限り、4年間は罷免する方法はない。
では、リーダーは暴走し、世界戦争に向かうのか。
この点の唯一の救いとしては、今のリーダーは暴走したらどうなるかも計算できる人達だという事だ。
世界情勢は、リーダーの一存にかかっている。そして人々はSNS等メディアでリアルタイムで状況を把握する。
かつて国家間の冷戦が「世界緊張」だったものが、今はリーダーの反応を見ながらの定常的な緊張状態が「世界緊張」なのかもしれない。
年末の時
年末。世の中は客先周りとかサラリーマンの多くは忙しいかもしれない。一方、僕の今の仕事は管理系でマイペースでやれるから、個人的にとってもありがたい。
家族の事も含め、この時期色々論点はでてくるけど、ざっくり言うと「なるようにしかならない」と思っている。
自分で制御できる事は努力するけれど、それ以外の所はどうしようもない。
ビジネススクール研修のコーチングで聞いたある本から引用した以下の言葉があった。
”You can do what you can control. That you cannot control shall control you"
(あなたはコントロールすることをやればいい。あなたがコントロール出来ない事は、あなたをコントロールするから)
僕はこの事を聞いた時、随分気が楽になった事を覚えている。自分が全力を尽くして、あとは運命を待てばいいんだ、と。
だから今、自分でできる事をし、体調を整えながら周りに気を配るしかない。気を配るといっても、自分のできる事を以外は出来ない。そこは信頼する、委ねるしかない。
自分の人生、自分以外の人生、究極的に相反する時があるかもしれない。例えば、家族だったら子供の事情を優先するとか、子供がそんな究極の選択の場面で親を思って悩んでいたらどうアドバイスするのか等々、また 学校では決して教えてくれない新しい論点が出てくる。
話は180度変わるが、「一言力」という本を読んだ。内容は軽く、正に一言で言える内容だった。
それは、「一言で伝える内容を考える事」だ。
(この本の言う、13字で本の内容を伝えたつもりw)
確かに、上司から聞かれた時、必要十分に短く答えるのは会社生活重要だし、
みんなの注目が集まった時に、そのようにちゃんと伝えないといけない場面は多い。
そんな一言の重要性を再認識するにはいい本だった。
という事でまとまりがないが、年末の時はそんな事を考えながら過ぎてゆく。
二つのプラン
今年も、いよいよ後2週間だ。
一年前を振り返ると、あったことは遠い昔の事に思える。
一年一年過ぎて行くのは早く感じると思っていたが、このように一年前が遠く思えるのは不思議だ。
今年は特別多くの事があったという事だろうか。
今年は個人的には重要な年だったから、やる事に優先順位をつけた。
1 ○○
2 △△
3 □□
と。その順番で行動を決めた。つまり、高順位の行動を優先する。例えば、1は何より重要だから、それを阻む行動はしない事だ。
これは、とても簡単に実行できる事だ。
来年はどのように優先順位をつけるかだが、その前に他律的な結果で、自分の行動も大きく2パターンに分かれるだろう。つまり、プランAとプランBを持たないといけない。
自律的には、その二つを用意する作業を進めるしかない。
他律的な結果は、自分ではコントロールできないのだから受け入れるしかない。
大人は、能力を蓄え、未来を切り開き、家族を支え中々大変である。
ただ着実に進むしかないのだ。
「やるっきゃない」
コスパの話から、やや細かい話も
最近、いいものがやたらと安い。
今日の昼、丸亀製麺で食べたら、50円引きのクーポンを使って、釜揚げうどんと天ぷら一品で350円だ。勿論、打ち立てのうどんと、ネギと生姜たっぷりを入れて味を堪能、栄養も取れた。
会社帰りにワインのつまみを買おうと、イオン系列の「まいばすけっと」というミニスーパーに立ち寄ると、チーズとサラミのセットが税込で199円。
食べ物ではないが、重宝しているAnkarのBluetoothスピーカーはAmazonのタイムセールで3000円ちょっと。もちろん、低音はBoseの同様の製品であるSound-Link Mini Bluetooth Speaker IIに及ぶべくもないが、価格が税込で23,760円(Bose の購入サイト)である。ただ、Ankarは1/8の音ではない。YouTubeで聞いた感じは、せいぜい3割から4割ダウンだと思った。すると、実質コスパは、8x0.6=4.8倍 Ankarがいいと思ってしまう。
ワインなんかも、勿論3000円以上のものはそれなりにいい。いい味に当たる確率も上がるのは間違いない。一方、1200円位でも、何の気兼ねもなく飲める美味しいものもある。
例えば、最近気に入っているこれもそうだ。
またシャトー・ラフィット・ロートシルトがチリで作ったLosVasgos
も、上のボルドーより果実味はある。やや複雑さを求めるのなら上だし、果実味であれば下となる。
何れにせよ、この価格帯ならデイリーワインとして楽しめる。
1000円ちょっとで、そこそこ美味しいワインが手に入るとなると、当然ワインファンの裾野が広がって来る。すると、ますますコスパのいいワインが日本に入ってくる。
価格が安くて高級品ではない、いわゆるローエンドな商品が、最後は高級品を出してきて、それまで王者だったメーカーを駆逐してしまうというハーバードのクリスチャンセン教授の「破壊的イノベーション」というセオリーがある。トヨタが米国市場で、最初はカローラを出してきて、GMとかフォードは相手にしなかったのにだんだん米国市場が侵食されて、さらにレクサスのような高級車がでてきてガチな勝負となっている例だ。このようにローエンドな商品は上手くビジネス展開すれば、とっても魅力的なプレイヤーになれると思う。
という事で、今日の僕は、ランチに350円のうどんと天ぷらを食べ、1200円のワインの3分の1、つまり400円のワインを飲み、つまみは250円程度(数日前買ったクラッカーを計算すると一枚6円。これを4枚食べて、今日買った199円を加える)、計1000円で生活した。我が家の小遣い制では一日2000円(!)なので黒字である。そうして何日分の黒字を、年末、年始飲み会やらで使い果たす果たすのだろう。
今日、言いたかったのは「意識をすれば、コスパ良く食事と飲みができる」という事だが、だんだん話がせせこましくなってきた笑。
という事で今日は終了。
みなさん今日も一日お疲れ様でした!
母国と人口減問題
朝は、掛けがいのない時間だ。
「朝の為に一日はある」と確か、菜根譚にあった。
今日は寝床から早く抜け出した。
今、音楽を聴きながらコーヒーを飲んでいる。
そして綺麗な朝日が差し込んでくる。
思い出すままだが、司馬遼太郎の描いた「坂の上の雲」の時代、当時の大国ロシアと戦う前に、日本のトップが日本の国旗を胸に、朝日に手を合わせ日本が勝つ事を祈った時もあったろう。
日本は、Rising sun 、つまり日の出る国と良く言ってもらったものだ。
地理的に大陸の東にあるからだが、これから盛り上るという意味もある。
ところが、日本の環境的には厳しいものもある。例えば、日本はこれから急速な人口減で、2060年には現在の人口の69%になるデータがある。
http://toyokeizai.net/articles/-/148363
50年間で平均すると、年率、0.7%で減るから、毎年日本の人口の約84万人減少する事になる。
過去に低出生率だったフランスは今様々な対策をして出生率1.98と、日本の1.42%を大きく離しているらしい。
http://toyokeizai.net/articles/-/144710
今後、日本は人口減対策をどんどん立てて行かないといけない。
移民、難民の受け入れ、社会保障、企業の仕組み等、様々手を打つ事になるだろう。
話しは変わるが、スイスに短期留学していた時、痛感したのは日本人は当然ヨーロッパ人にとって中心にいる人々ではないという事だ。食事も、日本人に合うところを本当に少ないし、日本食も高い。
この点、母国はありがたい。食事、店、全てが当然日本人中心に考えられている。
まさか将来、地図上国名が変わらないように、日本はこれからもきちんと国家として守っていかないといけない。
と、朝日を浴びながら改めて思った。
「イントロバーチィ」な人
普段、「内向的な性格」いうと、どこか否定的な文脈で使われるだろう。
「あの人、ちょっと内向的だし消極的なんだよね」とか、
「内向的というか、はっきり言うと暗いのよ」
「自分の殻に籠っててはダメ。もっと外向的になって、人と話さないと成長しないよ」
という感じだ。
ところが、内向的な性格の人でも、能力的には何の遜色もないと言う事が最近言われている。
例えば、TEDのセッションでは以下だ。
スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」
https://www.ted.com/talks/susan_cain_the_power_of_introverts?utm_source=tedcoms
このビデオにもある通り、CEOはExtrovert、つまり外向的な人が多いとか、そうなるように仕向ける社会の傾向もあるようだ。
ちなみに、国別で言うと最もExtrovert な性格の割合が多いのがオランダ。他方、もっともIntrovertな国は、日本らしい。ヨーロッパのビジネススクールの授業でそう聞いた。
ところで、この間読んだ村上春樹の本「村上さんのところ」で最も印象的だったのは、村上春樹が以前、自身の内向的な性格を直そうと思って努力していたという事だった。
もっとも、今はそんな努力はしてないみたいだ。
Introvertを肯定してるんだろう。
僕もどちらかというとIntrovertだと思っている。最近Introvertで開き直ると、随分気が楽だ。無理に陽気に振る舞わなくても、自然体で人の話が聞ける。また少し自由の香りを嗅げた感じさえする。
ということで、今日のブログのメッセージとしては「Introvertの人は無理に自分を変える必要ない」という事だ。
Introvertの人は自分の性格について大なり小なり悩んでいる人が多いと思う。
ただ実際そういう人は逆に存在感をもっていたり、味わいある輝きを持っている事が多い。もしIntrovertを否定して、自らを変えようしてその輝きを失うのは、勿体無い。
勿論、Introvertを嫌悪したり、変えようとするお節介な人もいるだろう。
そういう人とは、なるべく関わらないことだ。
お互い他人の性格の事を構っている暇はないようね、て感じで。
最近、自分の中でちょっと冗談ぽくIntrovertな人を「イントロバーチィ」と呼んでいる。Introvertに似た造語である。勿論、こんな日本語はないだろう。「君もイントロバーチィ?」なんて話しかけたら、多分、場が数秒間白くなるに違いない。ただ、そう問いかける僕も「イントロバーチィ」な人である。「同志!」という感じで仲良く話しができたら楽しそう、と想像する。