思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

桜咲く

今年は、子供の受験が落ち着いたので、桜を恨むことなく見ることができる。

 

桜が咲いているのはわずか一週間ちょっと。

咲き始めは地味だが、満開の時の華やかさ、散るときのはかなさ、この一週間、桜の移りゆく姿を思って心もそぞろとなる。

 

「敷島の大和心を人問わば、朝日に香る山桜花」本居宣長

この歌の通り、桜は日本人の心に欠くことができない。

 

今日は、桜が見頃だったので、昼休みに皇居の周りを散策した。

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多くの人が集い、千鳥ヶ淵ボート乗り場は待つ人の列がすごかった。

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最後、九段下まで歩いて、絶景ポイントで撮影。

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平和な日本。日本の春をこのように何歳になっても楽しみたいものだ。

 

 

与えられた環境でベストする

今回の子供の受験で実は痛感した事が一つある。

それは

「自分がコントロールできない事に過度に期待してはいけない」

という事だ。

 

世の中には、自分ではなく、相手に決定権のある事は多い。

例えば、今回の子供の合否も、結局自分ではコントロールできず、大学側にある。

自分が大学に乗り込んで「裏口入学させんかい!」と叫ぶというのは非現実的だ。

サラリーマンの昇進も自分が決めるのではなく、会社の一部が決める。

 

今回子供の合格でシナリオを3つ作っていた。

一つは第一志望に合格する事(A)、もう一つはもう一年浪人する事(B)。最後は第二志望以下に合格する事(C)だ。

結局(C)に落ち着いたが、僕はいいシナリオ(A)をまず想定し、それに向かって親として全力でサポートした。

しかし、今回の結果を受け、自分がコントロールできない事を前提に、その先を考えてはいけないと痛感した。まして過度に期待することは、あってはならないのだ。

 

では、どうすればいいか。逆に、自分がコントロールできる世界で勝負すればいいのだ。

つまり、「与えられた環境でベストすればいい」のだ。

 

しばらく心に留めておこうと思う。

 

 

 

 

 

 

季節は春へ

娘は、浪人生活が終わって今週という短い春休みに友達と遊んだりしている。

考えてみれば、高校2年くらいから勉強時間ばっかりで、全然遊んでなかったなぁ。

新生活に備えて、ガラケーからスマホにしたし、メガネをコンタクトに変えるなど、色んな準備が楽しそうだ。

 

親として、浪人のように鬱屈しながらも理想を追う姿も否定はしないが、今のように入学に向け準備する子供の姿を見るのは嬉しい。つまり、可能性を秘めた不安定な存在か、限られるが確実にプラスの方向の存在かで後者はそれなり良さを感じる。

 

今、そんな別人格の子供の事に思いを馳せながら、季節は春が始まろうとしている。

 

 

 

娘の進学先決まる

娘の医学部進学が決まった。

第一志望の国立大学は及ばずだったが、第二志望の私立の医学部に行く事ができた。

数日前に、第三志望の医学部に合格し、一応一安心していた。ところが、一昨日娘の友達がその学校よりもレベルの高い学校に補欠繰り上げで合格通知が来て、連絡の来なかった娘は落ち込んでいた。

その翌日、午前中繰り上げの連絡を待っていたが来ず、諦めて午後既に合格していた学校に入学金を振り込むために銀行で並んでいたときに、家内の携帯に電話があったとの事。

本当にギリギリの滑り込みセーフ。こういう状況を冷静にみるとほとんど運しかない感じだ。

後は、6年後の国家試験に合格すれば医師だ。

世の中の困った人を救う医者になってほしい。

 

娘の終日外出

まだ大学生になっていない娘の女子高校のクラブの同級会が昼食、夕食と開かれるという。

今朝、朝から出ていって夜の9時になっても帰ってこなかった。

 

そろそろ帰ってくる頃だが、本人が周りに誘われたりして調子に乗って二次会に行って遅くならないかと思ったら、心配になってきた。

 

携帯に一度電話をした。

当然出なかったが、それ以上かけるのは止めた。

 

すると、まもなく家に帰ってきた。

 

第一声は「同級生の成長に驚いた」と言っていた。

 

ともあれ、無事帰ってきたので、ほっとした。

 

娘との時間

娘と、久しぶりに家でTVをみたり、外の喫茶店で話したりしている。

娘はずっと受験勉強をしていたので、試験が終わった今のこういう暇な時が実に久しぶりなのだ。

 

今日は、夜の図書館で遭遇した。いるかな、と思っていたが案の定、図書館に入ったらすぐに娘の姿が目に入って来た。

 

暇だ、というので、図書館から近くのサンマルクカフェに移動。移動した時は、自宅帰宅予定時間まで1時間もあったので、正直話が持つか不安だった。チョコクロと、コーヒーをお供に少しづつ話していたら、話が続き、なんとか1時間弱持った。

 

「今度の土曜日、暇だからどっか連れてってよ」と言われた。僕の方は、来週試合で、土、日どちらか練習しないといけないが、どちらかというと土曜日の方が都合が良かったので、ラッキーだった。

 

映画をみて、食事をして、はて何の映画をみるか、不明。行く場所も不明。

娘もそんなに外出しないし、小さい頃から外出した数少ないパターンを辿ることになるだろう。

 

娘も大学にはいれば、中々こういう機会もないだろうから、貴重な機会になるかもしれない。

 

来週、受験の合格発表、補欠繰り上げとか、状況は動くだろうが、そういう状況でも主体は、別。

運命に身を任せてつつも、油断する事なく日々送りたい。

 

 

 

夜明け前の暗さ

子供の受験の日々が続く。

今度の週末は、今年最後の受験の付き添いだ。

付き添いと言っても、試験会場まで運転手をするだけだが。

 

多くの人が応援、支援してくれている。

塾の先生、僕の周りまで何と無く気を使ってくれ、暖かい言葉をかけてくれる。

 

「勝負は時の運」だから、結果はフタを開けてみるまで分からない。

 

ただ、この期間の学んだ内容や、数々の試練の過程は本人にとって将来大切な財産になると確信している。

 

ところで、今日のブログのタイトル「夜明け前の暗さ」は菜根譚からの言葉だ。

夜明け前は、1日でも最も暗い時間ということだ。

明るい日差しが差すにはその直前の暗い時間は欠くことができないという事であり、最も大変なのは幸福がくる直前という事を表している。

 

今は確かに暗い。だが、その先を信じて本人は一生懸命やっているのだろう。

親としては見守るしかない。結果は必ずいつかついてくると信じて。