iOSを変更する時には気をつけて!
今日は、卓球練習を11時に終え、午後はゆっくりと本を読んだり静養する予定だった。
時間があったので、iPadの空き容量容量3GBしかないので、空き容量を増やそうとネットで調べた。
まずiTuneでiPadの容量の内訳をみると、「書類とデータ」が9GBも占めていた。
これを減らす有効な方法は、結局OSを再インストールする事と記事があり、
早速やってみた。
これが恐怖物語の始まりだった。
iPadを復元して、PCのバックアップからデータを戻したところ、
WIFIのパスワードを入れてもエラーが出、やっと思い出して入れたパスワードは受け入れてくれたが、iPadが「ネット未接続」になってしまった。
それからアップルのサポートセンターに電話をかけ、iTuneのソフトを最新にして、復元した。iTuneのソフトのダウンロードが1時間かかるし、データの同期でこの時点で3時間かかっていた。
で、WIFIにつながるかとおもったら、同じ現象でネットに繋がらない。
ネットに繋がらないiPadなど、文鎮以下の存在である。
アップルのサポートの人もがっかりして、あとはハードの交換を無償でします、との申し出てくれた。
では、お願いします、と言いながら、最後、記憶にあったもう一つのパスワードを入れたら、
なんとネットに接続できた。
復元する前は、このパスワードはエラーが出ていたのに。
OS変えたら、なんでなの!?
この時点で4時間たっていた。
ボー然としながら、ハード交換で1週間iPadが使えなくなる不便を直前で回避できた。
このあともOSを変えた不便は続く。2ー3のアプリのパスワードが再設定となった。
結構、キャッシュに覚えさせていたものがOS変更とともに消えてていた。
思い出すのが大変だった。
さらに8時の大河ドラマを見ようとしたら、iPadにTV画面と音を出すアプリが接続元のPCを認識しなくなっていた。接続先のこのiPadを再認識するとのことで、アプリ会社からメールを送るからそのURLをクリックしろ、と。
大河ドラマの始まる10分前。このメールが届かなかったら、音でないから実質みれないじゃん、と焦っていたら、律儀にメールがすぐに届いた。無事、大河ドラマを見れた。
今日、こうして8時間ほど格闘した。
成果は、3GBだった空き容量が、OS復元で12GBに増えた。
大半の時間を占めたWiFiが繋がらないトラブルからの教訓は、
1WiFiのパスワードは忘れずに。
2繋がらなくなったら、WiFi ルーターの再起動してパスワード再入力
3ダメならOS入れ替えで、再度入力。
つまり、上記1、2の環境変化でパスワードを受け入れるか否か変わるからである。
それにしても疲れた〜。
他人と自分の喜び
カズオ・イシグロの「日の名残り」という小説は、主人の為につくす執事(Butler)の仕事の日々を淡々と書いた物語に思える。
きれいな英語、英国の英語で読んでいて、淡々としたトーンが心地よい。屡々、良い入眠剤にもなる。
執事は、いわば「他人の為につくすプロ」といったところだ。
翻って考えれば、他人に真に役に立たなければならないときは、プロ、つまり相当程度の配慮を要するということなのだろう。
相当の配慮を行う為には、行う者が冷静でなければいけない。
実際、この物語の執事は独白の文章の中で、極めて冷静であり、美徳として自己制御をいっている。
さて話は変わるが、バブルを20数年前に味わった身のせいかもしれないが、最近は
悪く捉えれば、低成長期、よく捉えれば几帳面な時代に思える。
いずれにせよ、有限な人生だから、その中で楽しみたいものだ。
これは人類共通の気持ちだろう。
ところで地球は生まれてから46億年と言われている。
人の一生を85年として、それを瞬き一回分の時間とする。
人の瞬きは100ミリ秒らしいから、電卓で計算すると
地球の年齢は63日間、瞬きしっぱなしということになる。
こんな風に計算してみると、人の寿命が短いのか、地球の年齢が長いのかよく分からなくなるが、
両方、覚知できる数字ということだ。
閑話休題、有限な人生を楽しみたいたいものである。
それを目的として、方法は別途考えなければいけないのは当たり前だけど、今日はここまで。
魂の訓練
大きなプレッシャー感じたり、苦労をすることを『魂の訓練』というと大げさかもしれないが、そういった事は実はとても重要なのかもしれない。
何故なら、自分がプレッシャーなり、苦労を味合わないと、まず他人の苦労はわからないだろうし、苦労がわからなければ、思いやりも湧きにくい。
また、自分自身の成長も望めないと思う。
なぜ苦労しないと成長しないか、今、僕が熱を入れているスポーツの卓球を例に上げてみる。
卓球の試合では、他のスポーツもそうだろうが、勝つために精魂尽くして戦う。
練習を積んで自分の弱点を分かっていても、当日の雰囲気やプレッシャーで克服法がうまく出来ず、相手にやられ口惜しい思いをする。実際、昨日の団体戦では、チームは優勝したが、自分だけ負けて相当悔しい思いをした。
卓球が上手くなる方法は、1 負けた理由を、自分のプレイ動画をみながら等して理解する、2 次回の試合でそれを直す、3それでも負けたら、その他の理由を探し克服に努める、この繰り返ししか強くなれないと思っている。その繰り返しを支えるエンジンとなるのが、実は、燃えたぎる程の「悔しさ」だと思う。
故事に、
「ローマは1日にしてならず」
「桃栗3年、柿8年」とある。
年数やらに数字が出てくると、その数字は決して無意味ではない。
何事も、目が出るにはそれだけ時間がかかるのだ。
時々味わう絶望と、少しの楽しみと、理にかなった生活、それらがあればかなり充実した人生だと思ったりする。
とはいえ、生身の人間だから、肉体的、精神的に辛すぎる時はあるだろう。
であるから、毎日リフレッシュして送るしかない。
あのカーネギーも悩みある時は、1日単位で生きる事を確か「道は開ける」で言っていた。
人生決して楽ではない。だが「では死ぬか?」と言われると、大抵の人は「絶対嫌だ」と思うだろう。その点は、人生の真理のある面を突いているような気がする。
自然に逆らって生きる人間は確かに大変だが、それを楽しめる境地にいつか達したいものである。
決して一人ではなく。
基本的に、自分は一人で自由を楽しむ傾向はあるとは思っている。
ただ、最近は仲間の良さを感じる時が多い。
地元の卓球クラブは、練習の終わったあと昼夜問わず食事がてら一杯飲みに行く。
酒が入り午後の効率を考えると全部は行かないが、最近は自分の出席率は三分の1から半分位にまで上がっている。
行けば、人生劇場そのまま、家庭内の話とか、卓球以外の話に花が咲く。
みんな頑張って卓球以外の事をやっているのがよくわかる。
そういうプライベートの一部を共有することは、自分の家庭の事を省みるいい機会だ。
自分ばかりが大変だと思っていたら、今日も周りでももっと大変な家庭があった。
このようにストレスを発散しながら、仲間と情報を共有するのは自分がモットーとしている『思い込み禁止』にも繋がる。群れるのではなく、少し皆と付き合うというのは「人の間」と書く「人間」の理にかなっているんだろう。
そうやって皆、この厳しい世の中を、自分で頑張りながら、仲間にも支えてもらって、切り開いている気がする。
今日は、そのような事を感じた午後だった。
悔しさをバネに
昨日は卓球の団体戦 の試合だった。
地元のチームが5チームも区の大会に参戦した。
自分の試合申し込みメールがチームの編成役に届かず、飛び入り参加だったし、
試合の前日、僕のチームのメンバーが良くて、「君は出る幕ないな」と辛口の先輩に言われた。当日は子供を受験会場に送っていかなければならず、試合の朝ギリギリの時間となるし、その辛口の言葉もあったので、いっそ欠席しようとも思った。しかしその言葉は正直悔しかったし、朝の時間も間に合いそうだったので結局参加した。
出たら、午前中はずっと待ち時間だから、だからたとえ朝の用事が多少遅れたとしても、参加する意欲があれば余裕で間に合うことができたことが分かった。
肝心の試合だが、「出る幕ないな」と言われた割には、試合に出して貰えた。
一試合目。相手カットマン。一セット目は、4ー11で簡単に取られた。
ヤバいと思いながら、ベンチに帰ったらいいアドバイスを貰えた。
2セット連取したが、4セット目8ー6でリードしたいたのに、フォア側空振りの悪い癖がでて8ー11で取られた。
勝負を分ける最終セット。10ー7でリードし、あと一本で勝ちという時に一本取れず、10ー10となり、デュースで逆転負けをした。気合いを入れ、途中「出る幕ないな」で発奮しながらやったのに、結果惜敗で悔しいことこの上なしだった。
試合動画はこちら↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=6dUwHDuGtz8
二試合目。最初の試合で負けていたから、出して貰えないと思っていたら、予想外に出して貰えた。
「これに勝てば、一皮剥けますよ」とチーム員から言葉を掛けられた。
自分の方が実力は上だったが、一試合目負けていたので緊張した。
結果、冷静に3ー0で勝った。
今日全敗丸坊主だったら、卓球を止めようかくらいに考えていただから、勝てて本当に良かった。
そのあと、クラブの宴会。同じ店の他のクラブが入り混じって総勢30ー40名が出入りするいった盛況だった。さすがに地元の名門クラブだ。
という事で、なんとか気を振り絞って出場し、宴会も含め結果は得るものが多かった。
これも「出る幕ないな」、その言葉のお蔭だと今は思っている。