思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

知人との会話

知人との夕食前、早めに出てコーヒーショップにいる。

隣の中国人の男女がいて、なんだか年上そうな男性が女性をずっと口撃していた。

うるさいし、気になるので店員に頼んで席を変わってもらった。

 

相手に静かにしてくださいと、ググって中国語で伝えようかと思ったが、そんなもので静かになるとも思えないし、よくある格言で「相手を変えることよりも自分が変わることが簡単だから」と、この場合もそうした。

 

落ち着いた後、時間ができて少し調べものをした。

全く利害関係のないプライベートな友人以外と話をする前に、何かしら準備は必須であろう。

 

準備があれば、その分心の余裕ができる。準備できない所は、予想できなかった所ということでこっちは言い訳が立つが、自分が想定をしないところは、経験上、相手の独壇場になりがちだ。

 

しかし、相手の独壇場はむしろ歓迎だ。だって、自分は全く考えも、知見も及んでいない所を、相手が補完してくれる可能性があるからだ。

お互い否定せず、もしかしたら尊敬し合える会話は、人生においてとても貴重かつ幸せなものだと思う。

 

 

 

 

 

 

段取り

今週末の計画で少し悩んだ。

まず、二ヶ月前にこの週末の土曜日、日曜日に試合が2日予定候補がきた。

2日ともそれなりに大事な試合だったが、両方の出場は疲れるので、土曜日は入れて、日曜日は

入れない事にした。

で、空いた日曜日は高尾山に友達とハイキングに行くことを計画した。

すると、日曜日の夜、外せない知人との夕食が入った。

高尾山に朝行って、夜夕食に駆け込むかを考えた。

だが、事前に考えることもあるし、遅れたりできないし、天気も曇りそうだし、色々考えて

結局、高尾山にはいかないことにした。

結果は、こうして曇り空の中、ゆっくりできて良かったと思う。

夕方まで時間があるので、午後用事を済ませたら早めに外出してもいい。

若い頃は、何にも考えず、色々面倒なことも疲れながらこなしていた。

今は、段取りを考える。

その分、疲れることはあるが、後での苦労よりは楽だと思う。

その意味で、行動をする前に段取りを考えることは、正しい行為なんだろう。

 

反省の重要性

子供が大学生となり、親としての僕も生活が落ち着いてきた。

夜8時には家でくつろげるので、アメリカのTVドラマとか、日本のアニメとかみたり、本を読んだりしてのんびり過ごしている。

 

Facebookをみていたら知人がm-gram(エムグラム)という性格診断をやっていて、自分もやってみた。105問もあって、回答するのに15分程度かかった。結果はこうだった。

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挙げられた性格を構成する8要素は、自分にとしては特に新鮮味はなかった。

ただ一つ面白かったのが、詳細説明の「興味の対象が次々と変わってしまうと感じられてしまうこともあるので注意しましょう」点だ。

これは、余り認識なかった。

 

移り気というより、むしろ自分は頑固ではないかという思いはある。ただ、考えてみれば、頑固さを保ちながら、考え方をどんどん変えていくことも可能だから、両立するものかもしれない。

 

また自分の短所として、「やりっぱなし」はあるかもしれない。

興味を持ち、実行するが、結果について余り反省をしない。

極端に言えば「過去は過去、次!」といったタイプかもしれない。

 

だが、反省はやはり必要なんだろう。

貴重な経験をした。それがうまくいかなかった時は反省する。

そして次はその反省を活かして行動し、成功を掴む。

過去を悔やむという事ではなく、反省点を抽出して、それを二度と犯さないという事でよいのだろう。

 

今さらながら、反省の重要性を考えた。

 

 

新生活本番

4月から新生活が始まった。

「新生活」といっても自分の生活が変わったのではなく、子供が大学生になり親の生活パターンが変わったということだ。

例えば、子供と過ごす時間が増えた。

このGWには、久しぶりに家族で遊ぶ為に、実家に家内と子供と3人で帰った。

 

実家はお祝いムード。

父母、兄弟、子供合わせて11名で乾杯した。

また夜は地元の祭にも参加。

最初は子供も面倒くさがっていたけど、友達の誘いもあり最終的に参加した。

出たら案の定、楽しんでいた。

昼は、父親と山小屋でおいしい空気を堪能しながら昼寝をし、蕨をとり、家族で皆んなでうなぎを食べた。

親が健在なので、50歳も過ぎて未だ子供である。

 

英気は十分養えたので、またこれから新生活本番。

とりあえず夏休みまで頑張るか❗️

 

地元クラブの飲み会

僕は、趣味で卓球をやっている。

卓球をやるといっても、練習を週1回以上するとなると、結局どっかのクラブに属することになる。

全く個人の練習で、相手を見つけ、場所を見つけるのは困難だからだ。

 

僕の入っているクラブは区内でも有名なクラブだ。在籍数も区内最大級だ。

入部する時は、実はハードルが高かった。

ネットでそのクラブのホームページをみて行ったのだが、練習会場に行ったらいきなり会長から「今日、勝ち越したら入部させてあげる」と言われた。

結果、残念ながら全敗した。ダメだと思っていたら、なんとか入れてもらった。

後で「卓球への熱意を感じたから入れてあげた」と言われた。ただ、今分かるが、そんな勝ち越しルールはない。たまたま会長が言ったのだろう。

以来入部してもう4〜5年になる。

 

練習は短い時で2時間、長い時で4時間やる。そして試合となると1日だ。

そしてその後、毎回飲み会がある。

昼の練習の後も、御飯を食べながら飲み会である。

 

僕は、毎回はいかない。

でも全く行かないというのも、クラブの雰囲気からしてマズイ。

ということで、今は一ヶ月に一回位、その飲み会に参加するペースになっている。

 

いざ行くと、とっても楽しい。

皆、仕事とか家庭事情とかバラバラだで、話題は、卓球以外に昭和の頃の懐かしい話やら、食べ物屋の話とか多岐にわたる。そういう会話を聴きながら、皆、このクラブ活動を通じて人生をエンジョイしようとしているのを感じる。そんな「飲み会」が昼2時間弱続く。

 

今日もその飲み会だった。

普段、一人時間も多いので、こういう集団の楽しい時を、うまく自分の時間に取り込んでいければと思う。

 

 

 

 

 

 

緑の季節始まる

今日は、家の近くの善福寺川緑地和田堀公園に行った。

この辺は、緑の多い杉並区でもひときわ多いところで、そう言えば、タクシーの運転手の人が「この辺に来ると空気が違う」と言っていたのを思い出す。

 

子供が小さい頃は、ほとんど毎週末来ていた。ただ、数年前から大規模な工事がこの緑地で始まった。それは、善福寺川が大雨のたび増水するので、雨水の逃げ場所として緑地の一番大きな広場の地下に貯水槽を設置する工事だ。この工事が数年続いている事で、自然と緑地から足が遠のいていた。

 

その一番大きな広場には、二本の銀杏があった。それらは巨大な木で、しかも対として存在感があった。多分、木の形からして夫婦の銀杏だろう。秋の見頃には、目が覚めるような黄金の木の下で、よく子供と写真をとった。その後、木の下で銀杏の実を拾っている人も多かった。

 

ところが、その銀杏の木がいつの間にか切られてしまった。

工事で邪魔だったのだろうか。切る理由は、十分考慮されたのだろうか?

住民投票やったの?議会でどういう議論をしたの?」と区に文句を言いたかった。

 

今日、その広場を横目でみながら更に進んで、それ以外の場所は以前と変わらなかったのでホッとした。昔からある花壇も、ボランティアの人によって相変わらずきれいに手入されていた。f:id:jnxjent:20170429215353j:image

 

家から向かって善福寺川沿いに更に奥に行くと、和田堀公園がある。

ここは、周辺で最も緑の深い場所の一つだ。

僕は見たことはないが、和田堀池にはカワセミがいるらしく、池に向かってカメラを据えている人がいつも数人はいる。

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ただ池の水質汚染カワセミの生態を脅かしているようだ。
ここにも、人間生活と自然のせめぎ合いがある。

 

そんな和田堀池のすぐ横のベンチで、コンビニで買ったコーヒーを飲みながら読書をした。

今日読んでいた本は、ジェフリー・アーチャー作のプリゾン・ ダイアリー(獄中記)の2。

世界的作家が60歳を過ぎて獄中に入り、刑務所の生活を語る私小説だ。

原書の一文は短く、わかりやすい。

 

しばらくすると、空が次第に暗くなってきた。そして、雨がパラパラと落ちてきた。

本をしまって、自転車に乗った。すると空はいよいよ暗くなり、雨がひどくなってきた。すれ違う人々は帰路を急いでいた。しばらくすると、日が差して来た。だが雨は一向に止まない。いわゆる「狐の嫁入り」だ。日が燦々と差す中、傘を差して自転車を乗った。

 

まもなく雨は止んだ。

 

ふと周りをみると、そこには文字通り、洗われたような公園の光景があった。

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わずか3時間程度の午後の時間だったが、緑を堪能できて良かった。

 

今度はこの辺で、外飲みかBBQでもしたいな😄

 

 

 

 

 

 

 

北朝鮮緊迫

今日も昼時、皇居のベンチでのんびりとしていた。

 

天気も良く、木陰で本を読みながらリラックスできた。それも大半は薫風香る季節のせいだが、やはり一部に戦争ではない安堵がある。

 

アメリカが攻撃のレッドラインとしていた核実験が、二つのXデイに行われなかった。

一つは金正恩の祖父、金正日の誕生日である4月15日。もう一つは軍の創立85年記念日の4月25日だ。

 

この2回の見送りは、何らか北朝鮮を抑止する要素があったと思う。

一つは米国が韓国と軍事演習したり本気でやる気を見せている事。もう一つは中国が独自制裁をするという事だ。

 

では、今後この緊張はどうなってゆくのだろう。

自分は、専門家ではない全くの素人だが、思うところを書いて行く。

 

まずアメリカは戦争をしたいわけではない。

空母を動かすにも、ミサイルを打つにも莫大な戦費もかかる。

 

アメリカが恐る事は、核を積んだミサイルがアメリカに到達する事だ。

一説によれば、トランプ大統領の任期の第二期には、アメリカ本土に核を積んだ大陸間弾道ミサイルが射程に入る技術を北朝鮮は確立するという。

それを何としても防ぐ決意をしていると思う。

 

では、防ぐ為にはどうするか。

一つは北朝鮮の開発にストップを掛ける事だ。

ミサイルで迎撃する手段を改善する事は、精度が100%にならない以上、サブの手段だろう。

 

北朝鮮の核開発をストップさせる事を、まずは中国にやらせようとしている。事実、今日、中国は核実験をした場合、独自制裁をすると米国に伝えたというニュースがあった。

だが、中国が開発をストップさせる事が出来ない時、それ以外に北朝鮮に開発を抑止する手段に手段(オプション)がアメリカにあるかだ。

それは、思い当たらない。

とすれば、最後の手段でアメリカは攻め込むだろう。

 

トランプ大統領は、全ての上院議員ホワイトハウスに集めて説明した。これは異例らしい。

戦争開始に対する議会への根回しか。

 

アメリカは、大量破壊兵器がなかったイラクにも攻め込む国である。

まして今の北朝鮮の状況である。

もちろん、国際関係の複雑度はイラクとは違う。

今は、旧宗主国とも言える中国に預けているのだ。

 

アメリカが攻め込む時は、国連の中国、ロシアの許可をとって行くだろう。

もちろん表向きは反対し、国連決議にはならないかもしれないが、事前には伝えるだろう。

 

こう考えてくると、あとは金正恩の理性だけである。

彼が、核開発方針の転換を打ち出せるか。

おそらく、国の存亡と、日本含む戦争勃発は、33歳の彼の判断一つににかかっているのではないか。