疲れたら、休もう
今日は月曜日、週の始まりだ。
体調は良かった。先週は仕事の緊張や金曜日の飲み会で土曜日は疲れていたが、週明けてスッキリ感があった。
土曜日、日曜日、それぞれ1時間昼寝したのと、日曜日の午前中、ゴロゴロ本を読みながらゆっくりしたことだ。午後も卓球の練習を午後3時に終え、そのあとはのんびりしていた。
振り返ってみると、ストレスを感じる時は単に疲れている時が多い。単なる肉体的疲れを、精神的疲れすなわちストレスと勘違いしている時が大半だと思ってしまう。
そういう時は、寝る事、そして食べて休息を取ることだ。
体力がつけば、それに立脚し、複雑な考えや、いろんな行動ができるようになる。
2001年9月11日で世界貿易センタービルに突っ込んだ犯人は、睡眠不足の状態に自らしていたと言われている。睡眠不足は正常な判断をできなくするのだ。
疲れたら、休もう。できれば、栄養のいいものを食べて。
ストレス管理
前回のブログでも書いたが、管理系の部署にいて、何事も硬く、詰めて仕事をしている。一つ一つの行動の段取りとか、近い将来の予定、瑣末な事など色々想起し、頭が中々疲れる。
よって、対策を意識することになる。
まずは運動だ。これは自分では卓球だが、これは試合で勝つという目標もあるのでストレスはある。
ただ、上記とは違うストレスなので、全体のストレス増にはならない。
次に本を読む事だ。これは本を読んでいる間はストレスを感じない。よって結構な量を読む。
あとはアメリカのTVドラマや、昔の歴史TVをYOUTUBEでみたりする。
上記はストレスを全体で増やさない為には有効だが、根本的解決ではない。
この疲れが、単に管理系の部署の行動パターンのせいなのか、自分のやりたいことを見出していない焦りなのか、何かの不満、不安もあるのか判然としない。
単純に疲れている事もあるので、睡眠をとり休息を取ることは重要だ。
人はそれぞれの生活パターンの中でストレスはある。ストレスで体を壊したり、自殺する人もいる。実際、今の20代、30代、40代の死因のトップは自殺だ。
ストレスを管理して行くことはとても重要な事だと思う。
硬い日々
今、管理系の部署にいるので、仕事はすべからく詰めることが必要となる。
全体的には仕事においてスピードよりも、詰めが優先される。
実際、普段の会話でも「根拠は?」「エビデンス(証拠)は?」と聞かれることが多い。
仕事で詰めを意識しているせいか、自分の行動の品質を上げようとする。
仕事中離席した時、最低3つの目的を果たすようにしている。
例えば、飲み物を買い、トイレに行き、必要な書類の印刷をする。時には、ついでにゴミを捨てたり、マグカップの洗浄もする。離席するタイミングも、集中力が切れたときとか一応考える。
同僚との会話も、無駄な会話は一切なし。
もちろん、気晴らし目的の「雨降ってきました?」といった会話はあえてする時がある。
このように行動一つするにしても、複数のスクリーニングを入れる。
これらの行動パターンは、元来詰めが甘いと自覚する身には相当負荷がかかる。
ただ、これを一つのチャレンジだと思っている。これまでの人生の融通無碍な生活とは明らかに違うからだ。
このような硬直した仕事振りや行動パターンの中でも、精神的に平穏を見出したいと思っている。
方法として、たとえば心持ちを”Low Expectation”、つまり結果への期待値を下げたり、余分な事を想起しても瞬間に心から消すとか工夫してみる。
もちろん、気晴らしも重要だ。鬱になったり、健康を損ねてはいけない。ワインを買ったり、映画を観たり工夫している。もっとも週末の卓球やら、イベントがあるのでそうはならないと思うが。
結果、是非ステップアップしたいものだが、まだどうなるか確証はない。
果たして、一年後どう仕上がっているだろうか?
「人間」は複数形
人生、量と質とどちらを求めるのだろうか。
若い頃は量だった。手当たり次第、何でもやった。ピアノ、卓球、テニス、特許、IT、WEBサービス、どれも完遂していないかもしれないが、何かしら役に立っている。
ただ50歳を遠に超えた今、それほど量は求めず質に重きを置いている。
そのように人生を高めようとしているが、では何が人生の目的なのだろう。
自分の幸せのというのは大なり小なり否定しようがないが、それでも他者に喜んでもらえるというのは
とても嬉しく感じる事が多くなった。
人は色んな意味で一人だと限界がある。自分の喜びのみ満たしても、楽しさは限られている。
他者に与え、喜んでもらい、自分も楽しい、という一連の循環のない一人生活は
相当つまらないのだ。
「人間」という単語は、日本語では明確ではないが、単数ではなく複数表現なんだろう。
今、読んでいるSapiensもしっかりと複数形になっている。
本来、人間は複数で過ごす生物なんだろう。
ストレスを感じなかった休日
今日は趣味の卓球のマスターズ予選。つまり、年代別全国大会予選である。
義理の弟が全国大会の常連なので、自分も出場を目標にしている。
ただ、レベルが高い。全国大会に出るには東京代表になるのにトーナメントで5勝しないといけない。
昨年は一勝した。だから、今年は2勝を目指した。結果は、初戦敗退だった。
ただ、今回は反省点がはっきりしていて得るものはあったので、今日は無駄ではなかったと思う。
全国大会出場の5勝しないまでも、去年1勝しているので2勝を目標としていたが、今回達成できなかった。もっとも、組み合わせがあるので勝ち数は目標にはならないかもしれない。
早く終わったので地元に帰ってきて、勉強している娘をスタバに誘った。
今日は暑かったし、タイミングが合えば気分転換でいいと思ったからだ。
話は卓球になった。卓球という、娘と共通の話題が一つできた。
そんな今日、考えてみればストレスを一切感じない日だった。
なんとなくだが、目標をたて実行している時は、結果は問わずストレスは感じないと思った。
もちろん目標達成の為の課題は持ち越すことになる。ただ、明日以降の話だ。今日の話ではない。
今日はもう終わり。
反省点
この年になっても、当然、反省点はある。
反省点とは、「こうするべきだった」し、今後「こうするべき」という事だ。
最近の主な反省点として、二つ思いつく。
まずは、「仮定の中ではなく、今の状況でベストを尽くす」事だ。
「仮定」は自分がコントロールできることならいいが、コントロールできない事を前提にしてはいけない。
コントロールできない事を夢想しても、それがならなかったら、自分の力ではどうしようもない。それまでかけてきたコスト、すなわち努力、時間、お金が無駄になる。
もう一つの反省点は、家族等、身近な人々を大切にする事だ。僕の場合とかく顕著かもしれないが、身近は当然得ているものとしてないがしろにし、その先を見てしまう。いつもその先を得られない時に、身近の有り難さを感じる。
これらの反省点は、今後しっかりと心に留めておきたい。
夏休みの後
ゆっくり一週間、夏休みを実家で取った。
相変わらず芸がないとも思うが、親も高齢なので元気な内に色々話したり、一緒に旅行に行ったりしたいと思っているからだ。
ただ、一週間もいるといい面、悪い面を垣間見る。
いい面は、皆思ったより元気で一泊の富士山近辺の旅行は楽しめた。
いいホテルと温泉、富士山をみれなかった点以外は最高だった。↓はホテルの庭の一部。
悪い面については、現実をちゃんとみて、家族皆で助け合って対応するしかない。
精神的に痛手を負った時、それを話す人は愚痴を言った分ストレスが減り、一方聞いた人はストレスが増える。物理の「作用、反作用の法則」そのものと思った。
今後、また時々刻々と変わる状況においてどうするか、自分をしっかり持って対応しようと思う。