思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

チームワーク

今の管理系の仕事、チームをまとめるリーダー的立場にいるが、中々エキサイティングだ。

 

そもそも仕事で一番ヤバイ状況は、「暇」な事だと思っている。

これは入社して一貫して変わらない経験値だ。

「暇」だと、余分な事を考えるしかない。「暇」だと時間があるから、業務改善とかクリエイティブな事も考えなくはないが、そのような事を考えるだけのモチベーションを保つことが「暇」だと難しくなる。

 

今は、幸い忙しい。

1日あっという間にすぎる。今日も19時に帰ろうと目標を決めて、やっと時間内に滑り込んだ。

 

大抵、人々はやる事が多いときに、「忙しい」と会話で言うだろう。

そんなやる事が多い時は、段取りをつけ、大抵優先順位をつけながら、時間内にこなすことになる。

 

また、チームのリーダーになると、メンバーを使いこなさないといけない。

他人を使う(“Doing things through others”)という、いわゆる「マネジメント」をうまくやらないといけない。

 

実際、配属されたメンバーにはいろんな人がいる。

たしかに、視野狭かったり、仕事を抱えすぎてこなさない人、スピードの遅い人、

精度がイマイチの人、指示待ちの人、特定の好きなポイントに突っ込みすぎる人、色々いる。

これらのメンバーを「あいつ使えない」、「視野狭い」、「自分でやった方が早い」と判断し、結局全部自分でやったら、自分がやる以上の成果は望めない。

 

僕は、「コップに水が半分しかないときに、水が半分しかないといって嘆くのか、半分もある」と思うのかと言ったら、後者を心がけている。

色んな人がいたら、その得意なところ、そこの部分で力を発揮してくれれば十分とする。

更に、自分も気づかない点に気付かされたり、自分以上の仕事をある部分でやってくれたら、感激に近い思いを味わう。

 

あと、心がけているのは、まず、マネジメントをする上で、自分が走るということだ。

自分が何も動かず、他人だけ動かすことは、自分にはできない。自分が動けば、メンバーも動いてくれる。

もう一つは、メンバーをできるだけ心地よくする事だ。

その方法の一つとして、例えば、つまらない誰もやりたがらないところは、誰かに押し付けるより、自分でやればチームで不協和音は出ない。まだ完全にできるわけではないが、メンバーが心地良いように心がけている。

 

ただ、実際仕事自体は厳しい。

給与をもらっており、世の中の経済が回る為には、給与以上働かないといけないから、労働者は楽ではないのは当然だ。

ただ、どういうわけか、人は誰一人同じ者はいないという事実と、仕事は大抵、複数の人間でこなす現実もある。そのような前提からすると、チームを組み、大きな成果をあげるというのは、

真っ当な事なんだろう。

 

リーダーとして、チームの力を結集して、よりよい結果を出せれば、その喜びは大きいだろう。

プロジェクトの区切りとなる年内、そのような結果を目指したい。

 

 

 

 

 

 

年内の目標

最近、忙しい。

職場の立場が、取りまとめ役に変わったことによる。

頭を使い、周りに業務を割り振り、進捗を見守りながら、適度に刺激を与え、自分としては全体を統括するとともに、責任を持つことになる。

 

職場では頭をフル回転なので、帰りの電車以降は、頭を休めることにしている。

頭を使いすぎると、心なしか顔の筋肉まで凍ばる気がする。

 

でも、頭に汗をかき、時に冷や汗をかくくらいじゃないと、実際いい仕事はできない。

みんな経験している通り、労働者は大変なのだ。

 

他方、向上心の観点から「自分は上に行っているのか」と考えた時、登山を思うと、高いところでは一歩、一歩、滑落しないように緊張して踏み出すことになる。

高みにいれば、その分、発言や、自分の行動の良し悪しがプロジェクトや、周りに影響を及ぼす度合いが大きいと推察する。

 

給与をもらっている、労働者は、そんなプレッシャーを乗り切っているんだろう。労働者は、「給与泥棒」と言われないようにしないといけないと思う。

 

そう言われないように、それなりの高みの中で、きっちりとやり遂げる。

詳しくは書けないが、それが年内の目標である。

 

 

 

英気を養う日

今日は、予定通り練習がない日。

最近卓球漬けの休日にあって、久しぶりに1日フリーである。

目的は、休息。

卓球をしていると体力結構使うし、明日からの仕事に疲れを持ち越さないのが今日の目標だ。

 

朝、少し作業をし、午後はいつもの大好きな店で昼食をとった。

ビールもいつものように一本飲み、つけ麺を食べた。

満足度は250%!  この店だけは、いつも予想以上の満足を味わう事ができる。

 

その後、少し駅ビルで買い物をし、コーヒーショップへ。

これも行きつけの星乃珈琲だ。

だが、混んでいた。名前をリストに残して、近くのスタバに行ってみたが、こちらも行列である。

もう一度星乃に戻ったら、すぐに店に入ることができた。

 

ここのコーヒーは好きだ。

コーヒーの美味しさを感じることができる。

スタバの例の酸っぱいコーヒーは悪くはないが、カフェインによる寛ぎは味わえても、コーヒーのおいしさまでは感じない。

 

今日は、とにかくノンビリ。カッコ良く言えば、英気を養う日だ。

 

子供との時間

 娘は、どういうわけか大学から卓球を始めた。親とか卓球好きの多い一族の影響はあるだろう。ただ、大学になって始めた初心者だ。

 

そんな娘と先週末、ほぼ初めて一緒に卓球をした。確か小学校3年の時、近くの児童館のようなところでやって以来だ。

 

本人曰く「運動は苦手」なので、ごくごく初心者のレベルを想定していたが、実際打ってみると、思ったより上手だった。バックハンドは正しく打っていたし、体の移動も悪くない。

 

相手をしながら、子供の成長を感じることができて、正直嬉しかった。もっとも「子供」といっても、まもなく成人であるが。

 

ストレス社会の中、毎日、剣ヶ峰のような日を多くの人々は送っているだろう。

それはそれで社会的に何とかしないといけないと個人的には思っている。それは一旦置いておいて、ストレス社会にあっても、子供についての驚きは、親にとって一服の清涼剤に違いない。

 

子供の成長を温かい目で見守る。人類の祖先皆々、当たり前にやってきた事だろう。

 

心のどこかに暖かみを感じる時であった。

 

秋と赤ワイン

 

いつものように、お彼岸を過ぎてぐっと秋が深まる。

 

秋といえば、まず「読書の秋」。

といっても実は暇つぶしなので、手当たり次第本を読んでいる。

今は、ハイデガーの「存在と時間」の入門用新書を手にとっている。

同時にフレディック・フォーサイスの「オデッサファイル」。これは面白い。

何で50年以上も生きてきてなぜ今初めて読むんだろうと、むしろ不思議な感じがする。

 

また、秋といえば「食欲の秋」。

普通マツタケ、とか浮かぶだろうが、その食材にそれほど縁がない僕は、先ずワインを思う。

夏の「白」から「赤」へ。そして、秋のキノコのイメージから、トリュフを想像し、そこから土のイメージでボルドーの赤を連想する。

 

はたして、キノコは赤は合うのだろうか?

ワインと合う食事は色が大事らしいが、キノコは上から見れば赤だが、下から見れば白ということになる。そうそう、思い出した。ポルチーニの大きな蒸し焼きしたキノコを、赤ワインに合わせた記憶がある! その記憶が焼き付いているのは、やはり相当美味しかったんだろう。

 

今夜は、スペインのワイン。地元デパートのワイン担当に聞いたところ、二千円近辺でイチオシだったが、やはり良かった。

f:id:jnxjent:20170927212929j:image

あらゆる方向に花開いているので、つまみの刺激にも負けない。胡椒付きのビーフにもぴったりだ。

チーズも、カマンベールよりはスモーク気味のチーズの方がいいかもしれない。

 

ワインで多少いい気持ちになるが、その先はたまにピアノを弾くくらいだ。ただ、いい息抜きにはなっている。息抜きを超えて、ワインとか体調によっては、偶に「束の間の幸福」まで行き着く。もっとも、酒飲みは異口同音にそう言うだろうから、飲み過ぎ注意だが。

 

今日も夜は虫の音とともに更けてゆく。その内、丑三つ時には、虫も眠りについて鳴かなくなるんだろう。

 

 

 

 

 

堅い日に慣れてきた

少し前に、きっちりした生活により若干シンドく感じる事をブログに書いた。

それから一月くらい立って、やっと落ち着くことができるようになった。

 

意識していることは、

1休める時は休む

2 流れを重視する

3 やりすぎない

4 行動に区切りをつける

 である。

 

まず、1について。ネガティブな気分になる時は、大抵疲れている時だ。

そういう時はゴロゴロして本を読んだり、早めに寝ようとする。

すると、9割ネガティブな気分は解消する。

 

次に2の流れだが、これは自分にとって実は、意識しないと難しい部分だった。

今まで、いい事はいいに決まってるし、個性も皆それぞれ出した方がいいと思っている。

大げさに言えば、絶対真理はいつでも吐露していいという考えだ。とすれば、皆の話の流れとか、空気とかはとりあえず二の次になる。自分が空気を変えればいい、とすら思っていた。

 

ただ、流れは最近重要だと思っている。

流れに逆らっても、周りの人に中々話をきいてもらえない。

皆の同意が得られないと、プロジェクトも動きが鈍る。

だから、正直くだんない事話してるなと思っても、流れを把握する為、注意深く聴くようにしている。

そうでないと、その論点がいつまでも蒸し返されて、自分もちゃんとした意見を持って白黒はっきりさせておかないと、くだらない論点に使う時間が多くなり、結局無駄な時間を費やすからだ。

 

 あと、3のやりすぎないについては、調子にのって畳み掛けないようにしている。

例えば、人に2つ質問しても、三つ目はやめておく。過度に一方向に行くと、時によっては良くないことが多い。

 

4つ目の、行動に区切りをつける。というのは、例えば、本を読む時もある章まで、とか、仕事をするにも区切りがつくところで終える。こうする事で、それぞれの行動が積み重なってゆくようにしている。これは、皆、当然に意識していることだろう。

 

このように、堅い生活は続いているものの、ストレスを感じないように工夫をしている。

 

たまにはパーッと発散したい時があるが、それはまた、来るべきときに楽しめるだろう。

敢えて新しいその為のアレンジはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書の秋

最近は、会社で若干立場が変動したので、忙しい。

期間はとりあえず年内だ。

 

個人的に最大の苦痛は希望しない「暇」だから、忙しいのはむしろ歓迎だ。

ただ忙しいといっても夜遅くまで残る必要がない。

通常の就業時間で十分だし、営業と違って管理系の仕事は客の事情といった自分でどうにもならない状況はない。チーム員含む自分のやり方次第で、仕事の品質もスピードも変わる。

 

プライベートは、卓球、読書、酒、ピアノといったところか。

読書といえば相変わらずの乱読だが、今「定年後」という本を読んでいる。

一つの参考と思って、ほとんど内容は期待しないで購入した。

 

読んでみると、色々いい事が散りばめられている。

例えば、「終わり良ければ全て良し」。つまり、それまでの人生色々不遇に感じることがあっても、定年後死ぬまでの時期が良ければ、結局その人の人生は総じて良かったという事だ。

又、大学卒業して60歳で引退するまでの時間は、相当働いて約8万時間。一方、引退してから死ぬまでの可処分時間も同じ8万時間(!)、だから引退してからの時間の過ごし方はとっても重要、等々。

アンケート調査に基づく客観と、作家の主観とうまくバランスして説得力がある箇所がある。

更にこんな記載もある。引退後20年〜30年を何もしなくていい自由を選ぶのを「余生」といい、一方何もをしてもいい自由を選ぶのを「誉生」と、サラリーマン後作家になった森村誠一氏は定義したらしい。

 

勉強を終えた大学後、所謂「社会人大学」では、実際誰かに教わることが少ない。

ただ本を通じて、人は色々語りかけてくれる。

 

今、夜の帳に虫の音が聞こえる。季節は秋、読書の秋である。