思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

昔無かった言葉

最近はとっても使われている言葉でも、30年前は影も形も無かった言葉は多い。

意味も時とともにどんどん転じる。

極端な例を挙げれば、平安時代清少納言が「をかし」という表現を使った。これを現代人が聞くと「可笑しい」を想像するだろう。しかし意味は全く違って「趣深い」という意味だと中学校の教師に訂正された。

 

今夜は、とりあえず30年前に無かったが、今当たり前に使っている言葉をいくつか挙げてみたい。

 

まず、「イケメン」。この意味は言うまでもないだろう。昔は「美男」、「色男」、「ハンサム」あたりだろう。「イクメン」含め、これはタイムマシーンで30年前に戻ったら全く通じないだろう。

 

次に「女子会」。対象の女子の年齢は限りなく広がっているのかもしれないが、この言葉も当時なかった。

 

真面目関係だと、コンプライアンス法令遵守)やセクハラ。

卓上のカレンダーが女性のヌードだったり、会社の部署で社員旅行に行き、恋愛ゲームをするとか、今からは想像もできない世界があった。これらの言葉や社会的概念が無かった事もあるだろう。

 

あと、「携帯」、「スマホ」、「ネット」などあるが、IT関係は挙げても面白くない。

 

風潮の話に変わるが、昔はお金持ちや血筋のいいご子息、ご令嬢を「毛並みが違う」として羨望の対象だった。そうでない人は、自分の出自を隠したものだ。

今はむしろ「自分の実家は貧乏だったから」と平気で言う。それは「苦労してきたから、今がある」といった意味で肯定的に解釈されるからだろう。この価値観は180度変わった気がする。

 

このように流行り言葉は、廃れるものと、しぶとく残るものに分かれる。

時代に合ったものは多分後者になるのだろう。

また暇な時に、このような昔なかった流行り言葉を挙げてみよっと。

 

 

W杯 8強惜しかった!

 今朝は、5時に起きて2時間遅れで録画をみた。

勿論、結果知らずで見たかったので、スマホ、通行人の雑談など、あらゆる情報をシャットダウンしようとしたが、PCで録画みる直前にどうしてもライブ映像を見ざるを得ず、半分目をつぶりながら見た映像が、元気なさそうなオーラの日本人がインタビューで答えていたので、「負けたのか?」一瞬思ったのと、見た時間から延長はなかったと判断した。

 

1点目はともかく、2点目が入った時は、朝の部屋で吠えた。後半の15分は回っていただろう。互角の戦いであれば、あと三分の一の時間であれば一応セイフティだ。だが、相手は世界ランキング3位のベルギー、もう一点欲しいと思った。

 

結果、2ー3で終わったわけだがあ、惜しむらくは、まずはっきりとした戦略を持てばよかった。

つまり、ワントップで乾か誰かを残して、あとは守る。カウンター狙いだけする。2ー0になっても、モードを変えず攻めモードを続けすぎたのは気になった。

 

もう一つはベルギーの一点目だ。勝負ごとは卓球も然りだが、いい加減なプレイや、へんなミスをすると一気に流れが変わる。あのゴールも、何となく入ったように見えた。ただ、ブラジル生まれのサッカー好きは、川島のパンチングがミスだという。その後、ゴールインだった。僕は川島のポジションが前に出すぎて最悪だと思っていて、その前のプレイは記憶にない。元ドイツ代表の名GKのカーン氏も「川島はパンチングでトライすべきだった」と安易に見過ごした川島を批判している。

 

ランキングの低い日本は、当然格上の相手から雨あられの攻撃を浴びる。

その際、キーパーがスーパーセーブは当然で、ミスをすると試合には勝てないことが多い。

決勝トーナメントでは、キーマンの一人はGKなのだ。

 

最後の3点目は、西野監督のインタビューによれば延長狙いの時間帯だった。しかし、経験豊富なベルギーは残り1分の中、9秒で得点した。

 

選手のインタビューを聞いていて驚いたのは、本田選手が「3回のW杯で、世界一になることを目標にしてきた」と言っていたことだ。この高い志があったからこそ、今の本田選手の活躍があると思った。

 

是非、日本代表チームには、前回のベスト16と今回のそれでの良かったこと、反省点をまとめて次のW杯に生かしてほしい。

 

それにしても悔しい。ベルギーを撃破していれば、次はブラジル。

西野監督アトランタオリンピックで日本のサッカー史上初めてやぶった相手だった。

もう一度奇跡を見たかった。

 

もう、夢に終わった。

こうしてサッカーファンも強くなるのかな。

 

 

 

 

なぜ森友・加計問題が国民にとって重要なのか

 

この問題、原発以来の日本の大問題だと思っている。僕のSNSをみている友人から「左翼っぽい発言多いね」と言われた。「右」、「左」どう映ろうと関係なく、日本にとって重要な問題だから、僕も声をあげている。

 

なぜこの問題が大問題なのか。まず、第1に安倍内閣という行政が権力を持ち、国会、司法から等から行政の権力の一つに牽制をかけるいわゆる三権分立という民主主義のシステムが脅かされているからだ。これは主に、内閣が内閣官房人事局を2014年に創設して、司法、つまりその一部の検察まで人事権に影響を及ぼす内閣に忖度するようになっている。事実、昭恵付きの谷氏がイタリア大使館の一等書記官に栄転した。また、これまで森友問題の操作の指揮を取った大阪地検特捜部長もつい6月25日に函館地検検事正に栄転している。佐川氏を不起訴にしたご褒美との報道もある。

 

首相は、忖度を逆手にとって、「全て、私がやったことではない。周りがやったことだ」という論陣をはる。今日も「文書偽造したのは私ではない。役人だ。その役人、つまり行政の長は私だから、(その意味で間接的に)私は責任がある」と言っている。

 

首相は「私や妻が関わっていたら、首相も国会議員もやめる」と昨年2月17日国会で言い切った。ところが財務省の文書で昭恵氏の関与が、数多くの箇所に及ぶことが明らかになった最近は「関わったのは、贈収賄でお金を受け取って便宜を図った場合のみ」と「関わり」の範囲に突然「絞り」をかけてきた。「それは卑怯ではないか」と言った議員もいたが、贈収賄はいうまでもなく刑法罪であ理、責任を負うには当然である。そこまでの「絞り」は笑止としかいいようがない。

 

もう一つは前川文部次官の発言を何度も国会で「前川次官も、加計学園の選定については全く問題ないといっている」と言っていたが、本人は「事実と違う」と反論している。

https://www.sankei.com/life/amp/180515/lif1805150017-a.html?__twitter_impression=true

 

「安倍首相は空気を吸うように嘘をいう」そう言われている。まさに、今のポジションにしがみつくためには、嘘でもなんでもする、という態度がみえる。悪魔に魂を売ってしまった政治家が、今目の前にいるとしか見えない。平成の最大の疑獄を言われている、「森友、加計」問題。今、国民はその首相を毎日見ているのだ。

 

日本の民主主義が安倍政権で歯槽膿漏のように知らず知らずのうちに蝕まれていくことを、強く懸念している。

 

 

限界を超える二つの方法

人は皆、どうしようもなくってそれ以上はできないという、いわゆる「限界」はある。

ジョギングやサッカーとしていて、心臓やら筋肉やら悲鳴を上げて「もうやめよう」としてスピードを緩める時はわかりやすい例だ。

とっても頭にきたときにぐっと抑えるとか、一生懸命考えたけどわからなかったときとか、スポーツ以外でも限界を感じる時は多いだろう。

 

そんな限界を克服するのには二つ方法があると思う。

一つは自分のキャパを増やすこと。当たり前の事だ。

勉強したり、心を落ち着かせるように体力を温存したり、スポーツなら練習したりして自分の能力を少しでも高めることがそれだ。

 

もう二つ目は、矛盾を超えて高みに登ることだ。

「それって何?」って感じだが、たとえば夫婦喧嘩をしたときは、正論、反論がぶつかり合う。

お互いの主張に固執する。

ではそこからどうしようもないデッドロックな状況か?というと、世の中の目からすると大抵そうではない。

お互いの考えが浅かったり、相手を思えば、単なる誤解の場合もある。

また、そんな対立点が些細な事とわかれば、お互い喧嘩するのが馬鹿らしくなる。

 

このように、矛盾が生じたときには、少し大きな土俵で考えてみる。

すると、その対立点は、お互いそこまで角を突き合わせることでもないし、返って損失が大きいことがわかる。

 

矛盾を解決して、更に高みにのぼる(「アウフヘーベン」する)、それはヘーゲル含めて歴史の先達が説いたところだ。

 

その意味で、対立したときに、更に高みにのぼる期待を持ちながら、少しの心の余裕をもてば、結果は前よりも良くなる事が多いのではないだろうか。

 

時に頭を空っぽにしたい

歳を取ると、妙に知恵がついてきて、色々考えてしまう。

昔であれば、起こったことを何も考えずに受け入れていた。

今日はハッピーだった、ラッキーだった、またそれらの反対、それくらいしか考えていなかった気がする。

今は、なぜそれがそうなのかと考えたり、今後の展開を予想したり、周りへの影響とか考えてしまう。

もっと、頭を空っぽにして、起こる事象に対して身を任せたいものだが。

 

小さい頃から聞いている音楽、例えば15歳の頃から聞いているレッドツェッペリンとか、イエスとか、サンタナとか今でも聞くし、その頃やっていた卓球をやっていたり、考えてみれば小さい頃とやってる事はほとんど変わらない。

 

ただ、大人になった分、多くの情報を抱え、世で起こる事への自分の反応がイチイチイ重々しくなっている気がしてならない。

ミスチルの「しるし」という歌詞にも、「軽はずみだった自分を羨ましくなるほどに」とあるが、そう感じる時もある。

 

常時、頭を働かせて、ちょっと疲れているかもしれない。

うまい具合に休息をとって、英気を養いたい。

 

 

同期逝く

会社の同期が亡くなった。

同じ大学、理系。所属グループも同じで同期の中でも仲が良かった。

 

僕の結婚式の二次会の司会もしてくれた。

その二次会で僕がビリージョエルのNew York State of Mind一曲を弾くために、慶應大学のバンドを連れてくれた。練習もせず、一発勝負。当時バブルで観客は200ー300名いた。なんとか弾いた。歌い終わる瞬間、マイクを持っていた慶応のスタッフの女の子の手が震えていた。

歌が良かったのか、緊張もしくは安堵だったか。多分、後者だろう。

 

結婚した年に、我が家に泊まりにきて、夜の2時まで彼のギターと歌に興じていた。そのあと、目の前の引き戸が突然開いて、家内に「もう寝てください」と怒られた。

 

そのあとも同期の結婚式の司会は彼が多かった。司会が似合う華やかな奴だった。

ただ、見た目を違って、真面目な奴でもあった。

 

最後に会ったのはもう2年くらい前か。

酒の後だが、真面目な会話を普通にした。

その時も、真摯に的確に答えていた。

相変わらず、見た目と違って実直な奴と思った。

 

もう奴の声を聞く事がないと思うと、全く想像できない。

「おい、冗談、冗談」と笑って目の前に出てくる気がする。

 

人生は、なんと無情なのだろう。

 

 

何もしない時間

今日のワインは、中々味わい深かった。

Berry Bros&Rudoというロンドンのワイン商が出しているボルドーのワイン、いわゆる「クラレット」だ。メルロー主体らしいが、香りも「どうだ!」という鼻腔に直接来るものでもなく、何となく鼻の周りを覆うような奥ゆかしさがある。ビジネスクラスの機内でも出てきそうな、引き締まったドライ感を中心としながら、そこから少しだけ広がりもある。銘柄は「Traditional Claret 」か。とすれば、この味は歴史あるワイン商が伝統的と評しているものなんだろう。

 

 

今晩はもう少しこのワインを楽しみたくて、最近毎日リアルタイムで見ているNHKの9時のニュースを録画にした。

 

いつも仕事やら、スポーツやら、将来への思いやら、雑然とした時間を過ごす中で、こんな空白の時間がとても貴重に思える。

 

1日の中で、このような無為な時間もあってはいいのではないかと思った。