思考の詳細

SNSでは説明しづらい詳細について書きます。

読書の秋

最近は、会社で若干立場が変動したので、忙しい。

期間はとりあえず年内だ。

 

個人的に最大の苦痛は希望しない「暇」だから、忙しいのはむしろ歓迎だ。

ただ忙しいといっても夜遅くまで残る必要がない。

通常の就業時間で十分だし、営業と違って管理系の仕事は客の事情といった自分でどうにもならない状況はない。チーム員含む自分のやり方次第で、仕事の品質もスピードも変わる。

 

プライベートは、卓球、読書、酒、ピアノといったところか。

読書といえば相変わらずの乱読だが、今「定年後」という本を読んでいる。

一つの参考と思って、ほとんど内容は期待しないで購入した。

 

読んでみると、色々いい事が散りばめられている。

例えば、「終わり良ければ全て良し」。つまり、それまでの人生色々不遇に感じることがあっても、定年後死ぬまでの時期が良ければ、結局その人の人生は総じて良かったという事だ。

又、大学卒業して60歳で引退するまでの時間は、相当働いて約8万時間。一方、引退してから死ぬまでの可処分時間も同じ8万時間(!)、だから引退してからの時間の過ごし方はとっても重要、等々。

アンケート調査に基づく客観と、作家の主観とうまくバランスして説得力がある箇所がある。

更にこんな記載もある。引退後20年〜30年を何もしなくていい自由を選ぶのを「余生」といい、一方何もをしてもいい自由を選ぶのを「誉生」と、サラリーマン後作家になった森村誠一氏は定義したらしい。

 

勉強を終えた大学後、所謂「社会人大学」では、実際誰かに教わることが少ない。

ただ本を通じて、人は色々語りかけてくれる。

 

今、夜の帳に虫の音が聞こえる。季節は秋、読書の秋である。

 

 

 

広島〜地産地消を味わう旅

先週土曜日に広島に入った。

夕食は仕事の同僚とお好み焼き屋へ。

行きたい店もあったが、以前行った事がある店を主張するとある同僚の意見でその店に行った。

有名な広島のお好み焼きを久しぶりに食べたが、味が普通すぎて何の感動もなかった。

 

次の日曜日。

朝7時に起きて朝食をしっかり食べ、先ずはホテル近くの原爆ドームに向かった。

その後、資料館へ。その足で広島城に行った。

多少秋めいていたものの、徒歩の行軍の道中とにかく暑かった。

そして目的地の厳島神社へ。広島城近くの白島駅からJR、フェリーと乗り継いだ。

JR宮島沖駅近くからフェリーで渡ると、宮島はお土産屋さんのオンパレード。

厳島神社まで濃密に店が連なっていた。

 

そして、やっと厳島神社に着いた。ただ、そこには水が無かった。

海に浮かぶ神社を期待したがが、干潮でそこには水がほとんど無かった。

社殿を歩くと、床板からすぐ下に地面が見えた。

f:id:jnxjent:20170907214844j:image

海水や風で腐食する床板を何度でも簡単に変えられる構造になっているのだろう。f:id:jnxjent:20170907213142j:image

能舞台も社殿のすぐ横にあったが、放置されているように見えた。

f:id:jnxjent:20170907214840j:image

今度は海に浮かぶ厳島神社を見るために、是非満潮の時に来ようと思った。

 

暑い中ホテルまで戻った。

その後の夕食の決定権は流れ上、僕にあった。

昨日行きたかった老舗の広島お好み焼きに行った。

すると、味が全然違った。

麺が生麺だった。ソースも微妙に違うんだろう。

食べた3人は異口同音に「昨日より旨い」と言った。

これこそ、全国の名を馳せる「お好み焼き」だった。

f:id:jnxjent:20170907213230j:image

ちなみに広島では、「広島のお好み焼き」ではなく、あくまで「お好み焼き」らしい。

戦後の食糧難の時に、配給された小麦粉、肉等から簡単に栄養が取れる食物として広島のお好み焼きは生まれたから、オリジナルな食品なのだ。

 

帰りの新幹線の駅で、美味しかったその店の支店は行列だった。

やはり、この店に行かないと後悔すると思った直感は当たったようだ。

 

最後に牡蠣のオイル漬け。

広島名産の一つは牡蠣だろう。厳島神社のある宮島でも焼き牡蠣を売る店が多かった。

この一品を試しで買ってみたが、絶品だった。

ひと瓶1000円ちょっとと高いが、ビール、白ワインにとても良く合った。

「海のミルク」と言われる牡蠣を手軽に堪能できる。

 f:id:jnxjent:20170907213508j:imagef:id:jnxjent:20170907214843j:image

 

 地産地消の旅は楽しい。

博多

先週半ばから、1週間国内出張に行ってきました。

大阪、博多、広島と回りました。

夜がフリータイムだったので、それぞれ食を中心に堪能できました。

例えば、大阪は串揚げ、博多はラーメンと屋台、広島はお好み焼きです。

 

博多の屋台は、2軒行きました。一晩目は、ラーメンだけ食べた元祖と呼ばれる屋台。

ラーメンの味は、横の鍋で炊いたせいか野性味あふれてました。

f:id:jnxjent:20170906203252j:image

金曜日のせいか、翌晩は華やいでいました。入ったのは、若い店員の綺麗な屋台。お酒も料理もおしゃれでした。韓国の中年のカップルと隣り合わせになり、会話し、写真も撮られました。なぜ写真を撮られたのか意味はよくわかりませんが。

f:id:jnxjent:20170906205024j:imagef:id:jnxjent:20170906205026j:image

 

「店が混んでいるから、兄ちゃん早く頼んでね」とか、東京だと喧嘩になるような事も屋台のママさんが言い、それでもすぐ後には和やかに話をしています。他方、金曜日行った屋台は急かされることもなく、酔った客と素面の店員が同じように和やかに会話をしていました。

こんな風になるのも博多の人々が鷹揚なせいだと思います。

一緒に行った会社の同僚が、初九州でしかも店に感動の言葉を発し、店も喜んでいました。

その晩、中州の風がとても気持ちよく、のんびりとホテルに歩いて帰りました。

次回、広島を書きます。

 

 

 

疲れたら、休もう

今日は月曜日、週の始まりだ。

体調は良かった。先週は仕事の緊張や金曜日の飲み会で土曜日は疲れていたが、週明けてスッキリ感があった。

土曜日、日曜日、それぞれ1時間昼寝したのと、日曜日の午前中、ゴロゴロ本を読みながらゆっくりしたことだ。午後も卓球の練習を午後3時に終え、そのあとはのんびりしていた。

 

振り返ってみると、ストレスを感じる時は単に疲れている時が多い。単なる肉体的疲れを、精神的疲れすなわちストレスと勘違いしている時が大半だと思ってしまう。

 

そういう時は、寝る事、そして食べて休息を取ることだ。

体力がつけば、それに立脚し、複雑な考えや、いろんな行動ができるようになる。

 

2001年9月11日で世界貿易センタービルに突っ込んだ犯人は、睡眠不足の状態に自らしていたと言われている。睡眠不足は正常な判断をできなくするのだ。

 

疲れたら、休もう。できれば、栄養のいいものを食べて。

 

 

 

 

ストレス管理

前回のブログでも書いたが、管理系の部署にいて、何事も硬く、詰めて仕事をしている。一つ一つの行動の段取りとか、近い将来の予定、瑣末な事など色々想起し、頭が中々疲れる。

 

よって、対策を意識することになる。

まずは運動だ。これは自分では卓球だが、これは試合で勝つという目標もあるのでストレスはある。

ただ、上記とは違うストレスなので、全体のストレス増にはならない。

次に本を読む事だ。これは本を読んでいる間はストレスを感じない。よって結構な量を読む。

あとはアメリカのTVドラマや、昔の歴史TVをYOUTUBEでみたりする。

上記はストレスを全体で増やさない為には有効だが、根本的解決ではない。

 

この疲れが、単に管理系の部署の行動パターンのせいなのか、自分のやりたいことを見出していない焦りなのか、何かの不満、不安もあるのか判然としない。

単純に疲れている事もあるので、睡眠をとり休息を取ることは重要だ。

 

人はそれぞれの生活パターンの中でストレスはある。ストレスで体を壊したり、自殺する人もいる。実際、今の20代、30代、40代の死因のトップは自殺だ。

 

ストレスを管理して行くことはとても重要な事だと思う。

硬い日々

今、管理系の部署にいるので、仕事はすべからく詰めることが必要となる。

全体的には仕事においてスピードよりも、詰めが優先される。

実際、普段の会話でも「根拠は?」「エビデンス(証拠)は?」と聞かれることが多い。

 

仕事で詰めを意識しているせいか、自分の行動の品質を上げようとする。

仕事中離席した時、最低3つの目的を果たすようにしている。

例えば、飲み物を買い、トイレに行き、必要な書類の印刷をする。時には、ついでにゴミを捨てたり、マグカップの洗浄もする。離席するタイミングも、集中力が切れたときとか一応考える。

 

同僚との会話も、無駄な会話は一切なし。

もちろん、気晴らし目的の「雨降ってきました?」といった会話はあえてする時がある。

このように行動一つするにしても、複数のスクリーニングを入れる。

 

これらの行動パターンは、元来詰めが甘いと自覚する身には相当負荷がかかる。

 

ただ、これを一つのチャレンジだと思っている。これまでの人生の融通無碍な生活とは明らかに違うからだ。

このような硬直した仕事振りや行動パターンの中でも、精神的に平穏を見出したいと思っている。

方法として、たとえば心持ちを”Low Expectation”、つまり結果への期待値を下げたり、余分な事を想起しても瞬間に心から消すとか工夫してみる。

 

もちろん、気晴らしも重要だ。鬱になったり、健康を損ねてはいけない。ワインを買ったり、映画を観たり工夫している。もっとも週末の卓球やら、イベントがあるのでそうはならないと思うが。

 

結果、是非ステップアップしたいものだが、まだどうなるか確証はない。

果たして、一年後どう仕上がっているだろうか?

 

 

「人間」は複数形

 

 人生、量と質とどちらを求めるのだろうか。

若い頃は量だった。手当たり次第、何でもやった。ピアノ、卓球、テニス、特許、IT、WEBサービス、どれも完遂していないかもしれないが、何かしら役に立っている。

ただ50歳を遠に超えた今、それほど量は求めず質に重きを置いている。

 

そのように人生を高めようとしているが、では何が人生の目的なのだろう。

自分の幸せのというのは大なり小なり否定しようがないが、それでも他者に喜んでもらえるというのは

とても嬉しく感じる事が多くなった。

人は色んな意味で一人だと限界がある。自分の喜びのみ満たしても、楽しさは限られている。

他者に与え、喜んでもらい、自分も楽しい、という一連の循環のない一人生活は

相当つまらないのだ。

 

「人間」という単語は、日本語では明確ではないが、単数ではなく複数表現なんだろう。

今、読んでいるSapiensもしっかりと複数形になっている。

本来、人間は複数で過ごす生物なんだろう。