魂の訓練
大きなプレッシャー感じたり、苦労をすることを『魂の訓練』というと大げさかもしれないが、そういった事は実はとても重要なのかもしれない。
何故なら、自分がプレッシャーなり、苦労を味合わないと、まず他人の苦労はわからないだろうし、苦労がわからなければ、思いやりも湧きにくい。
また、自分自身の成長も望めないと思う。
なぜ苦労しないと成長しないか、今、僕が熱を入れているスポーツの卓球を例に上げてみる。
卓球の試合では、他のスポーツもそうだろうが、勝つために精魂尽くして戦う。
練習を積んで自分の弱点を分かっていても、当日の雰囲気やプレッシャーで克服法がうまく出来ず、相手にやられ口惜しい思いをする。実際、昨日の団体戦では、チームは優勝したが、自分だけ負けて相当悔しい思いをした。
卓球が上手くなる方法は、1 負けた理由を、自分のプレイ動画をみながら等して理解する、2 次回の試合でそれを直す、3それでも負けたら、その他の理由を探し克服に努める、この繰り返ししか強くなれないと思っている。その繰り返しを支えるエンジンとなるのが、実は、燃えたぎる程の「悔しさ」だと思う。
故事に、
「ローマは1日にしてならず」
「桃栗3年、柿8年」とある。
年数やらに数字が出てくると、その数字は決して無意味ではない。
何事も、目が出るにはそれだけ時間がかかるのだ。
時々味わう絶望と、少しの楽しみと、理にかなった生活、それらがあればかなり充実した人生だと思ったりする。
とはいえ、生身の人間だから、肉体的、精神的に辛すぎる時はあるだろう。
であるから、毎日リフレッシュして送るしかない。
あのカーネギーも悩みある時は、1日単位で生きる事を確か「道は開ける」で言っていた。
人生決して楽ではない。だが「では死ぬか?」と言われると、大抵の人は「絶対嫌だ」と思うだろう。その点は、人生の真理のある面を突いているような気がする。
自然に逆らって生きる人間は確かに大変だが、それを楽しめる境地にいつか達したいものである。