春のワイン会
今日の午後は高校時代の同級生を誘って、花見兼ワイン会をした。
咲きとしては、三、四分咲きだろうか。桜は、それなりに美しかった。
ただ、見ていて趣と言える程のものはなく、なんだか小さな劇場の桜のセットのように、取り敢えず咲いてみましたという感じだった。
桜の見える土手腰掛け、準備したワイン2本とつまみは会話と共に快調に消えて行った。
帰りは、友人を駅まで送るのを失礼して、家まで歩いて帰った。
音も無く、風もなく、ただ夕日の中に小綺麗な川沿いの風景が繰り広げられた。
できれば、また5ー6月の新緑の季節に、同じようにワイン会をやりたいものだ。
どれだけ気楽に、コストも普段の酒を飲む店よりも安くというのが、このワイン会のテーマである。
語るべき友がいれば、一人で飲むよりも喜びは倍増する。
このように桜の季節は始まった。ただ、今週いっぱいだろう。
短い期間、楽しみたいものだ。
幸せは儚いもの?
「幸せとは何か?」、恐らく誰もがしばしば考える事だろう。
これも、学校では中々教えてくれないシリーズの一つである。
一般的に幸せは、マンガとかで想像するのは、ハッピーエンドと言った永続的なものだろう。
苦難を乗り越えて、ハッピーになる。そこから不幸になるとは想像することは少ない。
今は、幸せは永続的ではなく、たまに感じるものだと思っている。
物理的にいうと、静的というより動的、つまり時間によって変わるものだ。
その意味で、幸せは儚く、永続的に楽しめるものではないという思いが強くなっている。
永続的なものを想像させる言葉として、「基盤」というものがある。
基盤とは、普通短い時間では築くことができないものを意味する。
では、幸せは基盤だろうか?
僕は、幸せはあくまで主観的なものだから、その時の気分でかわるものである。その点で、幸せ=基盤ではないと思う。
極端な例を言えば、一見何の不自由なさそうなエリート家族で、突然親子で殺しあったりする事件がある。それは、基盤はあっても、幸せではない典型例であろう。
幸せをそのように瞬間的なものとすると、割と色んなことがすんなりと納得がいく。
まず幸せと感じても、それに甘んずることができない。一瞬のそれを味わうために、継続的に努力しないといけない。幸せに到達したと思っても、そのあと何もしないと、そのはかない幸せは失われる可能性がある。
また幸せは儚い一方、動的で変幻自在とすれば、変わる幸せを幸せと捉えないといけない。
それはたしかに幸せだという事を、感じる能力が必要となる。
これを「感性」というと少し語弊がある気がする。幸せを感じる力も努力がいる、その意味で「能力」の方がふさわしい。
そのように、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、絶望を乗り越えて、人は力をつけ、幸せを感じることができるようになるのだろう。
後世への名誉も「幸せ」の中に含めると、さらに日常は厳しいものを含むことになるのかもしれない。
かの西郷隆盛は、生前「自分ほど苦労を味わったものはいない」と言ったらしい。事実、2度の遠島流し、月照との自殺未遂、弟子たちに担がれて敗走続く西南の役の果てに介錯された最期、死後も、明治天皇に解かれるまでは天皇に逆らった賊人とされた。確かに、これほど苦しい、不幸な人生はないだろう。
一方、西郷らのお陰で、幕末の混乱の中、内戦をさけ維新を成し遂げた結果、西洋に植民地にされず、富国強兵政策により軍備を整え、バルチック艦隊を破り、ロシアにも征服されることがなかった。この日本があるのは、そうした先達の力によるところが大きいことは歴史の語るところである。
考えを進めてくると、傍目から不幸すぎた西郷は、結局、本人は幸せに感じていたのではないだろうか。死の間際の朝、天皇のいる東に向かって深々と手を合わせて従容と介錯を受けた。
実際、鹿児島に行って、西郷終焉の地を見た。大きな木があった。恐らく、最期の時を見下ろしていた木であろう。
幸せとは、このように儚く、感じるのに努力を要し、場合によっては、逆説的だが厳しささえ感じるときもあるのかもしれない。
雨音に交じる昔の曲を聞きながら、少し掲題について考えた。
ひな祭りの日
今日は日中いい天気であった。
日が燦々と部屋に差し込む。季節は春だと気づいた。
記憶を辿れば、小さい頃、ひな祭りの日いつも明るい日の光が差していた。
この日になると、妹用に両親が揃えた7段のひな祭りの飾りがいつのまにか床の間に出現していた。
僕が小さい頃、しばし高い飾りを見上げて、そっとその段を登ろうとしたが壊れそうですぐ止めた。
なぜ牛車があるんだろう、一番上の男性はなぜいつも向かって右なんだろう、
お囃子の女性は中段に3人なんだろう、なんで男性がその中にいないんだろう、とか色々不思議に思った。
雛人形を取り上げて、物申しそうな顔をみて、えいやと放り投げてみようと思ったが、多分何も言わないと思い、そのままそっと段に返した時もあった。
今年、今のところ幸い花粉症が軽い
3月、4月はいつも足を引っ張られる季節だが、この春、花粉症無縁だった時に感じた日の光をできるだけ楽しみたい。
今を楽しむ
実は、一昨年営業から管理部門に異動して、心の持ち方の「旅」の中にいる。
「旅」とは移動し、気づきがあり、行きつ振り返りつつの感じだ。
何度かブログにも書いたが、今の部署は、皆きっちりと仕事をする。
無駄なく、ミスなく、余分な事はしない、言わない、が原理原則だ。
自分のようないい加減な性格からすると、そうするのは相当努力が要る。
ただ、一年もすると大体そのように行動するようにはなった。
もちろん100点ではなく、多分80点くらいだろう。ただ、昔の60ー70点よりはマシになった感じだ。
ただきっちりした生活は、一つの弊害を生んだ。
先の事を考えすぎる。無駄なくやろうとして、段取りを考えるからだ。
仕事の習い性で精度を上げようとするから、先の事を正確に把握しようとする。
ただ、当たり前だが、先のことなどその通り起こるか決まってはいない。実際、取り越し苦労に終わる事が多い。また想定する期間もどんどん延びる。下手をすると、1年半先くらいまで想像している。
もちろん、仕事は憂う事はある程度は必要だ。
想定は憂いを産む。それが終わった時、その分喜びになる。
ただ、1年半先まで憂いて、今日という日を暗く過ごす必要はない。
そう痛感したのも、実は今回のオーストラリアの滞在だ。
皆、人生を文字通り楽しんでいた。
弁護士資格を持ちながら会社勤めをしている現地の若者が「弁護士になって長時間働くなんて、この(楽しい)オーストラリアでは考えられない」と言っていた。
目から鱗、であった。
ある程度計画を立て、準備すれば、後は1日を楽しむべきである。
そう思って、淡々としていると、ふと微笑みたくなる時がある。
あと、美輪明宏氏がTVで「幸せになるコツがあるの。それは感謝することよ。全てに感謝すること」
と言っていた。
今を楽しみ、そして感謝すれば、相当幸福になれるのではないだろうか。
このプロセスには、全くお金もかからない。よってコスパは無限大となる🙂
心の「旅」は続く。
休養日
今日は、休養日と決めていた。
午前中は読書をした。
読み始めたAIの本だ。高専の教科書にもなっている本なので、技術的にかっちり書いてある。
最初読んだ時はさっぱり頭に入ってこなかったが、もう一度同じ箇所を読んだら、言葉の意味とか、話しの筋がわかってきた。それでも一箇所、「線形分離」のところの一部が分からなかった。
久しぶりに頭に湯気がでる位考えた。そうすると、わかった。
分からないところを絞り込んで、そこに集中して、いろんな角度から考えると大抵分かるものである。
昔、受験でもそうやっていた気がする。
この小さな成功で、今日は良い日になる予感がした。
昼間はいつもの、つけ麺屋に行った。
美味しく頂き、妻用にお持ち帰りのつけ麺を買って行った。
午後ものんびり過ごし、夜はピアノを1時間半も弾いた。
本格的に弾くのは実に3週間ぶりだ。
なんともピアノの音が懐かしい。細かい和音が耳に入ってくる。指も意外と動いた。
このピアノはもしかしたらずっと弾いてもらうのを待っていてくれたのではと思えるほど、気持ち良く弾けた。
人間の体はいろんな養分を欲するが、音楽、ことピアノの音は自分にとって
意外と重要な栄養かもしれない。
ということで今日は予定通り、ゆっくり充電できた。
これからも、あまり先の事は考えず1日1日を大切にしたい。
お土産を買う時の注意
オーストラリアで飲み残し、持ち帰ったワインも今日で飲んでしまった。
お土産は、「不可逆」だ。つまり、戻って買うことができない。
だから多目に買おうとするのだが、このワインは結局買いそびれてしまった。そうなると、大抵後悔する。
お土産は「必要なものを中心に、多目に」がよろしいのではないか。
余れば、実家とか色々あげられるし、もちろん自分で消費してもいい。
今日、「カンガルー肉のジャーキー」を近くの人にあげたら、その人達はすごく喜んでくれた。一個400円程度だが、それ以上の笑顔だったように思うw。
カンガルー肉は自分でもこれまで食べたことがないので、とても楽しみ。謹んで頂きたいと思う。
カンガルーといえば、子供の頃読んだ野球本で、カンガルーの皮の野球靴を王選手が履いていたという記憶がある。
それにしても霙まじりの日本は寒すぎる。
ずっと開き気味だった毛穴がうまく閉まらず、体全体が少し当惑しているようだ。
そう思って、ふと見上げると、早桜か、梅が咲いていた。
それを見た瞬間、完全に季節がわからなくなっている。
色々な理由で大なり小なりストレスはあるわけだが、オーストラリアの3週間弱の出張で大分リフレッシュできた気がする。
またその辺の詳細は気が向けば書きたい。
久しぶりの日本
2週間半ぶりに帰国した。
長く出張するときは、日本に帰って来た直後の印象を楽しみにしているが、今日は
1 皆、黒いコートをきている
2 蛍光灯が多い。白熱灯のような暖かい光が少ない
3 髪が黒い
と、大体予想通りだった。
それにしてもオーストラリアは豊かだった。
資源のなす技であり、季節も良かったが人々は毎日お祭りのように活気を帯びていた。
オーストラリアで最も良かった事の一つは、人々がフレンドリーなところだ。
目が合えば、ちょっとした会話をする。ホテルの従業員も客との会話を楽しんでいた。
メルボルンは、カフェの街でもあり、ところどころで延々と話しをしている会社員同士やら、家族がいた。人々の幸せ度は相当高そうだった。
グローバル時代にあって特に日本という事で切り替える必要もないが、経験やら、出張中読んだ本やら、ジョギングしながら考えた事など今後の糧にして、明日から過ごせればと思う。