世の中の変化を感じる12月
今日は在宅勤務日「在宅くん」の日だ。
1時間半の通勤にかかる時間がないから、その分寝た。
もちろん勤務開始時間にはPCをを立ち上げる。
昼休み、今日は寒かった早々にコンビニ弁当を部屋で済ませ、年賀状の印刷をした。
昔は4−5時間かけていた気がするが、今だと印刷している時間を除けば、1時間ほどだ。
住所録からご不幸通知をいただいた先を除き、宛名を印刷。その後、「郵便`.jp」という日本郵政のソフトでデザインを選んで、写真をはめ込んで印刷。写真嵌め込みも、昔はスマホからメールで写真を送って面倒だったが、iCloudを使っているからPC上ですぐに写真をダウンロードできるから便利だ。メッセージを手書きで20分ほどで添え、終了。
年末これをやると気が少し楽になる。このように、世の中どんどん便利になる。
今読んでいる斉藤幸平の「人新世「資本論」」だと資本主義に対して、それを打ち倒す動きが出るらしい。
まだ途中だからなんともいえないが、今まで「資本家への革命」など古臭く葬り去られた昔の考えだと思ったが、今ヨーロッパではマルクス主義盛んらしい。
この本だと気候変動を資本主義は止められない。だから地球を守るため資本主義を変えるべきと言おうとしている。
気候変動は前ブログにも書いたように個人的に疑問点が多いので置いておく。
確かに逃げ切り世代と言われる僕の世代と若い人達との年収格差、気候変動のつけ、過重労働等不満が重なれば体制に対して反発することもあり得るだろう。その反発がどの程度で起きるのかだが、最も激しいのは「革命」だ。
「革命」が起これば、体制がひっくり返り、弱い物が強者となり逆は罰せられる。
コロナでかつてない変化のプレッシャーを受けている社会。
いろんな不合理が炙り出されてきて、それを感じた人々によってさらに大きい変化を産まないとも限らない。
「水に流す」とか「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、「人の噂も75日」の諺通り、日本人は比較的過去に拘らない国民性ではないか。
この点、韓国の「恨」の精神と全く異なる。
コロナの後、元に戻るのか戻らないのか。
普通に考えれば、機能したもの、つまり大した用のない海外出張、意味のない会議などはなくなりオンライン会議に代わるだろう。
あと通勤、都心だと最もバカらしいものの一つだが、これもコロナで在宅勤務の有効性が実証されればある程度残るだろう。
だが、それ以上に大きな変化が起こるのか。
ただ今、コロナの収束すらわからない。今日、東京では一日の感染者数が600人を超えた。以前、確か39名で小池都知事が東京アラートを出してレインボーブリッジを赤く染めた。今、その15倍である。
普通2−3年かかるワクチン開発を1年程度でやったはいいが、先行接種を始めたイギリスでは2名に深刻な副作用のアナフィラキシーが出たらしい。アナフィラキシーは死亡者もでるという。ワクチン接種は個人個人、冷静に見極めないといけないと思った。
今後、いろんな変化が世の中で出るだろう。ただ、自分や家族はとにかく冷静にやるべきことをやるしかない。
そして最悪コロナにかかっても冷静に対応するしかない。